釣行日誌 NZ編  「5000マイルを越えて」

野生の朝、苦闘のはじまり

1997/01/14(TUE)-1

 二日目は、デビッドと一時間ほど川を下ってから再び釣り上がることになる。昨日の林の中を薮漕ぎし、枝分かれした枯れ沢の中を歩いていく。

 しばらく歩き、左岸から沢が流れ落ちている場所で、向こうに二頭のシャモアが見えた。デビッドに知らせると、今朝から林の中はやつらの糞のニオイでいっぱいだったさと答える。かなり近づいてもその二頭のシャモアは逃げもせず、のんびりと草を食べている。石を投げても当たるという距離まで近づくとようやく森の中へと消えていった。これなら私にも猟ができるなあという気がした。

 広い瀬に出て、デビッドと右岸側に渉る。昨日のヘリの着陸地点を越えてしまったのかなと思っていると、その場所がずばり着陸地点なのであった。いかに昨日の釣りの時は興奮し、舞い上がってしまっていたかがわかる。

 それでは二日目の釣りの開始!ということで昨日見た二尾の鱒の姿を淵の中に探すと、まったく魚影が見あたらない。しつこくニンフとドライを流してみるが気配も無い。

 デビッドが、今日は右岸側を釣り上がるのでお前には逆手になるがいいか?と訊くので、大丈夫だと答える。得意な左岸側を歩いた昨日でさえさんざんのキャストしかできなかったのに、体の右側でのキャストには全く自信が無いのだがそう答えるしか仕方が無い。

 昨日の夜にビルと相談したデビッドは、お前には16フィートのリーダーを扱うのは難しいだろうということで、今日は12フィートのリーダー・ティペットでやってみろという。それなら何とかなるだろうという気がしてくる。

 しばらく歩くと、川通しが出来ない場所になり、岸沿いの潅木の中をくぐり抜けることになる。ちらっと見ると、岸辺に倒木が沈んでいるその上流側に1尾のブラウンがゆっくりと泳いでいるのが見えた。これも60cmは越えているようだ。あわててデビッドに告げると、静かに下流に回るように言う。わりと深いところにいるのでニンフでやってみようと言われ、フェザントテールの黒っぽいのを結ぶ。

 滑りやすい倒木の表面に注意深く足を載せ、いざ、キャストというところで目標の鱒を見るとこれが全く見えない。さっきは高い場所から見ていたので、はっきりと魚影が確認できたのだが、水面に近いキャスティングポジションからは全く見えないのである。ヤマ勘であたりを付け、ニンフをキャストする。おおよそいいようだが、デビッドがもう1.5m右を狙えと言う。逆手のキャストで思い通りに投げるのは至難の業である。

 後ろの立木を気にしつつ数回キャストするうちに、とうとう背後の枝を釣ってしまった。デビッドの顔がにわかに曇る。すまぬすまぬと心で唱え、慎重にリーダーを引っ張って枝に掛かったフライを外そうとすると、ティペットがあっけなく切れてしまう。

 やれやれと座り込む彼を横目に、きわめて平静を装いながら次のニンフを結び、そしてキャスト。どうも私の目測は短めになっており、鱒の1メートルから1.5メートル上流へとフライが届いていないようである。

 これは後になって気づいたのだが、水面近くから水中の鱒を狙って投げる場合、光線の角度と屈折の関係で、ラインが鱒の頭上を叩いたと思っても、まだまだ実際のラインは鱒の下流側に落ちているようである。だから、ラインの先端が若干鱒の上流側に落ちたように見えるぐらいでちょうどいいようである。しかし、その時の私はそんなことに気づく余裕のカケラもなく、デビッドがもう少し遠くと言うので調子に乗ってラインを出しすぎ、ついにラインで鱒を驚かせてしまい、期待の1尾はかなたへと泳ぎ去ってしまった。

 だんだんと無口になっていくデビッドの後ろを歩くのはつらいものがあるのだが、かといってどうするすべも無かった。

 昨日、岸辺にじっと潜んでいた鱒を見たポイントの上流で、また私が鱒を見つけた。広大に流れる深さ1mほどの瀬の流心に、ゆらゆらと魚影が揺れている。おそらく昨日の鱒だろう。しかしそいつはまことに難しい位置にいる。斜め下流からのキャストではバックキャストの余裕が無く、真下からキャストをしようにも流れが深すぎてそのポジションまで歩いていけないのである。くやしいのだが、その1尾はあきらめて次を探すことにする。

 デビッドが、お前は魚を見つけるのはうまいんだけどなあ...という顔つきで歩き出す。

 川を渉っていると、アイボリーグレー色をした鴨が二羽、流れの中へと舞い降りてゆく。ブルーマウンテンダックという種類の鴨で、とても珍しい鳥だとのこと。この国は、バードウォッチャーにとっても天国である。

 荒瀬の流心の底近くにデビッドが鱒を見つけ、思いっきり重めのニンフをキャストしろと言う。しかし、私のニンフは細目の鉛線を鉤の軸にひと巻きしかしておらず、この激流の底の鱒に送り届けるには少々重さが不足していた。何度流してもフライは表層近くを流下するだけであり鱒の潜む川底には届かない。

 とうとう、この1尾もしかたなく見逃してとぼとぼと上流へ向かうのであった。

 昼近くになりとてつもなく広く浅い瀬に出てしまい、どこにもポイントらしいものは見あたらないので無造作に歩き出そうとする私を、デビッドが急に止める。彼が指さす方向を見ると、広い瀬の一番最後の場所、深さ15cmほどの背中の出そうな場所に鱒が定位している。じっと動かず、眠っているかのようである。うーん、これは、まさに、ネギを背負ったカモ状態であるなとほくそ笑んでしまう。ところが慎重に投げたつもりのフライはかなりオーバーキャストとなり、リーダーのバット部分が鱒の近くに落ちた。脱兎のごとく流心へと逃げ去る鱒を見送り、再度うなだれてしまう私の後ろでデビッドは一言、

「Spooky.」

とつぶやいた。大物が残した波紋がゆっくりと瀬の中に消えていく。

 子供の頃、釣りから帰ってその日の釣りの失敗談を家族に話していると、祖父はこう言った。

「見えている魚は釣れん」

また、こうも言った。

「逃げた魚は大きい」

 しかし、である。泳いでいる大きな魚を探し出し、見つけてから釣るのがこの国の鱒の釣り方なのである。難しいのはわかってはいるが、今日はこれまでに7尾以上の鱒を見つけたもののまだ1尾も釣り上げてはいない。

 故郷の屋敷、暗い奥の間で、額縁の中に微笑む祖父の顔がまざまざと思い出された。


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