最後のジャンプ

1997/01/17(FRI)-3

 時刻は午前9時を回り、青く澄んだ快晴の空が広がる夏の一日となった。高圧電流の流れる牧場の牛避け柵を細心の注意を払ってくぐり抜け、さらに上流へと向かう。ブリントが10時には釣りを切り上げて戻ることにしようと言う。

 向こう岸から流れ落ちている沢の流れ込みを注視していたブリントが、急に手招きを始める。体をかがめて静かに近づいていくと、彼は手を大きく広げて魚の大きさを示している。

「あの流れ込みにでかいやつがいるよ。静かにドライを落とせば一発さ」

 と、言われてあわててキャストしようとラインを繰り出したものの、その間に鱒は姿をくらましてしまったようだ。うーん、残念。水温が18度と高い今日のような日は、水温の低い沢の流れ込みに鱒は寄りつくようである。

 川を横切って左岸に渉り、上流に見えている大きな淵を目指す。時刻は9時50分。

「ゴウ、あと10分だけあの淵を釣ろう」

 いよいよラスト10分となった。はるか5000マイルを越えての釣行にも幕を下ろす時間となった。最後のチャンスに望み、淵の尻から丁寧にドライで探ってゆく。ブリントが、

「何か感じる。何かあるよこの場所は」

 とつぶやく。右側の斜面から沢が流れ出ており、岩と岩の間をしぶきを上げた水が淵に流れ込んでいる。

 岸沿い、淵の中ほど、流心沿いと3筋の流れをキャストしながら慎重に釣り上がる。すると、沢の流れ込みから1mほどの場所に、ポツッとライズの環が広がる。

「ブリントさん、ライズだ!」

「そうか、私には見えてなかったよ。慎重にな」

 一気に緊張感が高まり、そのライズめがけて細心の注意でキャストする。しかし、ゆっくりと流れ下るロイヤルウルフには反応は無い。

 静かに3mだけ歩みを進め、沢の落ち込みギリギリにキャストする。フライがゆっくりと流れ、さっきのライズの場所に近づいていく。

 と、まるでスローモーションのように大きく黒い影が浮上し、大きな口で白いウィングをくわえ、ふたたびゆっくりと沈んでいった。

「ストラーイク!!」

「よしっ!」

 二人の声が同時に上がる。甲高い音でリールを鳴らしながら鱒は上流へと疾走し、そして今度は下流へと方向を変えた。懸命にラインを巻き取ってその圧力に耐える。流心へ走り込んで限界までロッドを引き絞った次の瞬間、桁外れに大きな魚体が空中に飛び出して体をくねらせ、体高のある見事なプロフィールを私の目に焼き付ける。

「??」

 

 次の瞬間、鱒が水中に落ちると同時にすべての緊張は失われ、ラインは力無く水面に漂っていた。

 フックが外れ、鱒は逃げたのだ。ブリントと無言で顔を見合わせ、しばし沈黙が続く。ロッドを軋ませた大物の重圧と宙に舞う魚体の幅広さが、青い水面にまざまざと甦る。呆然と眺めるビッグリバーは何事も無かったかのように静かに流れている。

「グッドキャスト、グッドストライク。ナイスフィッシング」

「大きかったですね」

「ゴウ。また今度、今度は釣るさ」

 最後の最後に姿を見せて去っていった大きな鱒に、くやしさはあったもののすがすがしい気持ちが広がっていた。幕切れにふさわしい最後のストライクであった。やれやれ、これで終わった。

最後に見た光景

 二人は、向きを変えて下流に歩き出した。振り返って最後の淵の風景をカメラに納める。時計は10時1分であった。


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