アメノウオ一代 その3  アメ釣り竿を作る

 それからおれが竿を欲しくなってなぁ、おじいちゃんによう、

「やい、おじいちゃん例の竿をおれにくれ」

っちゅうわけだ。

「なんだぁ?」

 っておじいちゃん言って。そのまた竿に因縁があるだ。前にお前に話したら、名古屋の松阪屋で東京銀座の東作が展示即売会をやるっちゅうわけだ。それを見にいじゃっちゅうわけで(見に行こうって言って)、俺と親父と見に行っただよ。

 その時に親父竿買ってな、俺にも一本買ってくれただ。高かったぞう、あの時分で一本十何円しただもんで。で全身真っ黒、二間半をなあ五本で継なぐ竿でなあ、全部うるしをかけちゃったるもんで真っ黒い色をしとる。それをおじい、箪笥にしまってあるわけだ。

「俺、アメを釣ってくるであれよこせ」

「やらん!」(笑)

--くれんかったのかん?

くれなんだ。(笑)

 そうしとってよう、それでもどうかいい竿を作らにゃしょんねぇと思っておって、そーれから考えただ。こうなりゃもう作らにゃしょんねぇ。なあ、その名古屋から持ってきた竿や何かまあはいそんなもの、ねぇ、古いだもんだで。

 当時は竿の売りはねえしさあ、あの時分戦後昭和二十何年頃なんて。どうやって作らぁかしらんと考えたところがまあとにかく穂先を作らにゃしょんねぇがどっかに男竹がねえかと思って。あん時なんであそこに行ったいなあ?

 おう、岡崎の叔父貴ンところへ何か干し柿かなにかを手に入らんかっちゅって手紙が来て、岡森と除きと横手(近所の家の屋号)で分けてもらって、それこそたくさんだもんだで、薬屋さんみたいな大きな風呂敷に詰めてよう、岡崎に持って行っただ。

 ほいで岡崎の叔父さんもうちのおじいちゃんとは仲が良かったしいつも行き来しとって、あの人も魚釣り好きだもんで、

「おい、叔父さん。こういうわけで親父に竿をくれっちゅうが竿をよこしゃぁへんで俺作らあと思うがどっかに釣り道具やねえか?」

って言うと

「あるよ」

っちゅうわけだ。であの時分の釣り道具屋なんてほんにこのぐらい(間口四メートルぐらい)のもんだ。そうだわいなあ、だいだいが戦争で物が無いところへもってきて売るものが無いだもんで。ほんに竿と糸と鉤とオモリぐらいしかない、今と違って釣り道具屋にわけのわからんもんは置いてないだもんで。(笑)

「釣り道具屋はあるだが何が欲しいだ」

って言うもんでよう、俺はあの延べ竿のなあ、昔は短いのは六尺ぐらいから長いので二間半ぐらいの延べ竿売っておったよ。その穂先にしたいだでよう、六尺ぐらいの穂先になるやついいやつないかってっちゅうわけで。

 まんだ今でもそこにそれが一本あるで。見してやらか、あのとき三本だか四本買ってきて俺が作ったやつ。そりゃあ良い穂だに。これならええかげんでかいヤツが食いついてもへーちゃらだ。

 古いもんだぞこれは、昭和二十何年のもんだに。

 そこまじゃあ良かっただ。ところが竹はどこから採って来るっちゅう段になって、それから人に聞いたら矢竹のいいのは瀬戸淵の尻にあるっちゅうわけだ。ほいで採りに行ったよ。とにかく合うか合わんかわからんだもんでこれへ合うぐらいのやつを五、六本採ってきてさ、で作っただい。ほんとこれ良い穂先だよ。

--岡崎の釣り道具屋っちゅうのはどのへんにあっただん?

 あん時に叔父さんがなあ明大寺ちゅうとこにおったでなあ、東岡崎の駅より南側だったよ。ほいでなぁ、今の道路で言うと、幸田の方へ行く道路の方だったよ。俺の記憶じゃあ。

 でそこで三本買ってきてさ、でまあこの穂持ちは瀬戸淵の尻で採ってきただ。でもそれじゃあ短いだもんでまあ一本継なごうと思ってさあこのふつうの丸竹はどこにあるっちゅったところが尾呂の菅沼さんの背戸にこんな太いヤツがあるっちゅうわけで。

 それからあそこへ行ってみたところみなっきり太すぎるだい。こんなにあるだもんで。適当なやつはねえかなあと思って探しておったら今の山じょうの向こうに水がビタビタ出とる所があるら、あそこにあってよ。ほいでそいつを採ってきて。さあ削って伸ばさにゃしょんねぇ、どうやりゃあ伸びるだと思って。こりゃ竹のことだで篭屋に聞けば知ってるかしらんと思ってよう。

 戦橋に篭屋があったの知っとる? あれが岡森のおばあさんの弟だ、あの足の悪い人が。そこへ行って聞いたらさあ、とにかく炭を起こして上に藁灰かけちゃってじかに火が当たらんようにしといて気長に遠炙りにしてやーっと炙っておると油がじわーっと出てくるで、それを濡れ雑巾絞っておいてこうやってこうやって拭えば伸びるっちゅうもんで、思ったより伸びるだそりゃ。

 でまあだいたいこしらって、それをただはめたじゃあ継ぎ目が厚くなっちゃうらぁ、中をえぐりたいわけだよ。さあそんな細長い出刃ぁ無いしどうやりましょお? 弱ったもんだなぁまあどうやったらいいかなぁ。それから考えたよ、八番線をたたきつぶしてなぁ、先っぽをこういうふうにして、それをこう曲げて、あんなもんナマクラだもんで鋼じゃねぇ、それでもちいと(少し)砥石で研いで、それを突っ込んでは掻き突っ込んでは削ってきて、ほいからこんだあ外側に糸を巻いてまた削って、ギュッとはめてみてはよし!

 ちゅうわけで、ほいで三本とにかく継ないでさ。こういう調子で良いって言って。さあ継なぎ目が割れては困るっちゅってよ、今ならなんでも塗料があるだが当時はなんにも無いらぁ。ほうしたら菅沼さんの背戸にうるしがあるっちゅうわけだ、こんなに太かったよ。ほれから菅沼のおじさんによ、俺うるし採りたいっちゅったらよう、

「ほんなばかな!かぶれるでよせ」

 っちゅうわけだ。ほいだって俺やりたいってわけで鎌持って行ってよう、いいことに俺うるしにかぶれんのだ。ほうすると出てくるよ汁が。ほれから竿を持って行ってなあこうやって塗ってよ。こんなにきれいな色にはならんよ。そうだな茶黒っぽいような色になって。ほいで固まるよかちかちになって。

 そうやって竿作ってさ。ところが悲しいかなその竿に穂先が入るはずだら普通なら。さあ中の節が抜けんじゃんなあ、道具が無えだもんで。ちくしょう、なんとかせにゃあしょんねぇと思って。今みたいに物が豊富で無えもんで鉄ン棒も何もありゃあせん。どうしましょうと思ってさ。

 ほいだけど八番線の長いのでもありゃあいいと思うだがそんなのもありゃせん。弱ったなぁ弱ったなぁと思って何かいい勘考がありゃせんかと思ってよう。どうしてもわからんで困っておって、そのうちにとうとうなぁ今の布川の鍛冶屋さんでなあ、今でいうと五ミリか六ミリぐらいの鉄の棒でなあ、一メートルぐらいのやつをもらってなあ、先をたたいてこういうふうにとぎらかして、ほいでこっちを曲げて持てるようにしてよう、両方までいかんでもいいら、ここまでとれるもういっぺんやる。ほいでやっとこせそうやってギリギリギリギリ穴ァ開けてよう中に穂先が収まるようにしてよう。そいだもんでこの穂先に三本継なぐだもんで長い竿だよ。そのかわりそんなもんなにが食いついたってグイーッと上げちゃう。

 まァ、そんな思いしてアメ釣り竿を作ったちゅうわけさ。


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