父の釣り口伝

アメノウオ一代 その8  親父の思い出

 それからなあ、ちょっと話が横道それるがなあ、金曜日の晩あたりになるとなあ、親父が「小僧ンとう早く寝ろ!」っとこうなるわけ。そうすると進ン達面白くねぇだい向こうの方にぼいたくられて(追われて)。

 わりあい家は大きかったでなあ。そうすると親父がなあ、今でも覚えておるよ。鏡台の古だなああれは。古物屋で買ってきたんじゃない、それを出してきてこの引き出しには鉤、ここにはオモリって入っておるわけだ。それが俺けなるいだ(うらやましい)、欲しいだ。

 それから竿にイの竿、ロの竿なんて書いてすぐ出せるようにしておくわけだ。それで親父は土曜日に会社行くら。昼間では行くだもんで。俺の方がなんちゅっても早く帰ってくるわい。そうすると親父のその鏡台の古を押入から出してきてよう親父のこしらえた仕掛けを一個失敬するわけだ。で新聞紙か何かに巻き付けて自分の竿持ってピューッと近所の川へ行くわけだ。

 そうすると親父はそんなのまさか失敬されとるなんて思いもせんもんで川へ行くと三本分仕掛け作ったやつが二本しかないわけだ。あとから親父が怒ってなあ、

「てめえで作れ!」

なんちゅって。

 それから親父っていう人は面白い人だったぞ。鉤やるわ糸やるわでくれるよ。だが作ってやるちゅうことはせなんだなあ。自分でやれ!覚えにゃだめだ。てなことで。小さい頃だもんで、鉤を縛ってくれっていっても自分でやれ!って言ったなあ。おら必然的に覚えたよ。俺もお前ら子供をよう連れ回っただけど親父も似とるなあ、

「やい肇、会社でフナ釣り大会やるっちゅうがお前も行くか?」

「行く行く!」

「釣ればなあ、褒美くれるっちゅうぞ。」

なんてなあ、よう行ったよ。

ほいでなあアメ釣りは木曽へ行ったし、三重も行ったし、ここらへんはだいたい行ったし、まあ知らん川は無いわ。

--公団に入ってからは?

公団に入ってからは、アメ釣りはやるはやったけど、おまえら子どももおるし、そんなには行かなかったけども。それでも横山君(父の同僚)とよくそこら歩りったなあ。当時は公団の車少ないもんで、測量行くって行って車確保して大岩くんと横山君と三人でよく行ったよ。


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