父の釣り口伝

腕白たちの黄金時代 その6  海と寺淵

 そーれだもんで名古屋で昭和十二年、おれが一年生の時だい、名古屋環太平洋博覧会って言うのがあって、今で言う万博だなぁ、それをみんな見に行きたいんだ、ところが銭が無いわけさ。

 それだからみんなで銭を出し合っては今の農協の観光バスみたいにして引率者が付いては名古屋へ来たんだが、宿賃が無かったり、あっても田舎の人たちは初めて都会へ行くんだもんで宿へ泊まるということにおぞんで(びびって)しまっているんだな。

 それだもんでおみなさん(肇の母)が名古屋におるっちゅうでなんとかしておみなさん所へ泊めてもらわにゃしょんねぇなんて言ってそんな話になってきたんだ。

 あの時分にお袋はえらかった(大変だった)と思うよ。貧乏暮らししておったって田舎から出てくれば泊めてやらんわけにはいかんしなあ、かといって銭を取るわけにはいきゃあへんしなあ。まあ入れ替わり立ち替わりそんなのばっか来るだもんで。

 岡森のおじさんやおばさんまでどうだかあれが一週間ぐらい泊まっておったんじゃないか。かね玉のおじさんたちも来たよ。古戸の衆もよう来たよ。それで案内までしてやらにゃあならんら、お袋はえらかったと思う、経済的に。

 それからなあ、古戸の辺で修学旅行っていうとお伊勢さんに行くだい。な。それでお伊勢様に行くとなるとよう、俺の家に手紙が来るだい、あの時分電話は無いもんで。

 何が書いてあると思うと、実は俺ん所の息子が今度修学旅行へ行くことになったと、ほいだでおみなさんすまんが名古屋へ出てうまく伊勢まで行けるだか行けんだかなんとか面倒見てやってくれんかだとかよう、手紙で言って来るわけだよ。

 それで長兄ぃの修学旅行の時だ、ある子が名古屋に来たんだ。名古屋の駅前の今の毎日ビルの近所によう、勢州館という宿屋があったよ、珍しい木造三階建てだったが。そこは北設の人たちが名古屋へ出たときの定宿だったなぁ、どういうわけか。で、そこへ修学旅行の生徒たちが泊まるっていうわけだ。それでお袋がそこまで行って、長の小僧もおるし、お袋も伊勢まで付いて行くっていう話になって、おれも一緒に付いて行った。

 それで伊勢まで桜井っていう背の低い先生と生徒と一緒に行ったんだ。で高等科がどうだあの時分に二、三十人おったんじゃないかな。それでいよいよ伊勢へ着いて、二見浦に行って、みんなで見ておった。そうして集合がかかって、電車に乗ることになった。そうしたら、件のAくんていう子が、ぽけーっと海を見ておって、いくら呼んでも来りゃあへんわけだ。とうとう桜井先生が怒ってさぁ、

「このバカ小僧、早く来ないと汽車に乗り遅れるじゃないか!」

そう言って怒鳴ったらそのAくんがとんできた(走ってきた)。

「だめじゃないか先生の言うこと聞かなきゃ、海ばっか見ておって!」

するとAくんがなあ、電車に乗ってから言うんだ。

「ねえ先生」

「なんだ?」

「おらぁ初めて海を見た」

そりゃそうだわいなぁ、古戸の子どもだで。(笑)

「俺は海って広い広いと言うからどのぐらい広いかなと思っていたけど、俺が思うに寺淵よりは広いかなと思っていたけどぉ、やっぱり寺淵よりはでけえなぁ!」

と言ったんだ。(笑)

 それでおかしくておかしくて桜井先生も怒る気がしなくなっちゃって。

「このバカ、海と寺淵と比べものになるか!」

 なんて言ってさ。それが高等科、今の中学の修学旅行だぞ、そんなもんだったんだ。今でも忘れん、あれ。

 それでよくよく聞いたら、もう豊川の鉄橋渡る時によう、みんな海だ海だって言って喜んでいたそうだ、桜井先生が言うに。(笑)

 それで先生が、ねえおみなさん、悲しいこっちゃないかね、なんて言ったのも覚えとるよ。ほんとに井の中の蛙、大海を知らず。って言うやつだわい。

 寺淵なんて今ならうちの庭ほどしかないよ、それしか知らなんだだもんで広いところは。俺は今でもAさんに会うたびに伊勢のことを思い出すよ。(笑)


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