留学に役立った本  日本語の外へ

片岡義男 著  筑摩書房 刊

ISBN 4-480-81600-3



 ワイカト大学の図書館の、語学に関連する棚を見ていた時に、厚い表紙に書かれた「日本語の外へ」というタイトルが目に飛び込んできた。何気なく手にとって本を開き、少し読みかけて即座に借りることにした。

 これまで著者の片岡義男さんの本は、ほとんど読んだことが無く、80年代前半あたりに若者向けの小説や雑誌記事で大いに売れていたぐらいの認識しか無かったので、ひどく衝撃的な出会いだった。

 独特の文体による、見方によってはとても「軽い」扱いをしているようにも見えるのであるが、その内容は大変深く、そして重い。第一部において扱われているアメリカ人の皮膚感覚、文化、アメリカの歴史、自由と民主主義。さらに第二部では「日本語」という視点で、日本と世界の歴史を振り返り、現在を幅広く論じ、個人と自由、そして民主主義を探り、最後にあるべき日本の行方を模索している。

 引用を始めたら切りが無いし、正しい論点は本文を通して読んでしか得られないのであるが、いくつか印象に残る文章を記しておく。

「主語はその文章ぜんたいにとっての論理の出発点であり、責任の帰属点でもある。主語は動詞を特定する。動詞はアクションだ。アクションとは責任のことだ。 -中略- 自分はどういう状況のなかでどんな立場にあるのか、問題をどのように見ているのか、そしてその問題をどうすればいいと思っているのか、どんな意見があるのか、どこをどうしたいのかなど、その問題にかかわるその人の機能の総体を動詞が表現し明らかにしていく。英語という言語の持つこのような機能は、英語の上に立っている社会の社会制度そのものだ」

「英語のIに相当する言葉は、日本語にはない。 -中略- IとYOUとは、強い主張や明確な考え方を、それぞれに述べ合う。」

「日本語は客観をめざさない。だから日本語による論争は、相手を言い負かすことを、最大のそして最終の目的としている。主観どうしの一騎うちだ」

「そのときどきの自分にとっての、そのときはそう思ったという程度の、なんの根拠もない思いつきやどうでもいいような衝動を、消費の回路のなかで代金と引き換えに満たしていくことが、人々にとっての最大関心事になっている」

「政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない」

「大衆が画一的に消費するものは、じつはすさまじく偏っている。企業群が利益の追求手段として開発し製品化した商品が、生活の全領域をまんべんなくしかも真に文化的に満たしているとは、誰も思っていない。企業にとって都合のいいもの、商品化しやすいもの、そして大衆によって消費されやすいもの、好まれやすいものだけが、大量に商品となる」

「ヴィデオ・カメラが小さくなってきみの生活は向上したかいときかれたなら、なんの関係もないよと答えるほかない」

 97年の出版であるが、不思議なことにあれほど書店巡りをしていた私が見逃していた。日本においては、各書評欄などであまり評判にならなかったそうであるが、絶版になっていなければ、あるいは文庫版が出たら買っておくべきだと思う。

 日本について、世界について、日本語について、英語について、考えてみたくなったときには、手に取るべき本の筆頭である。


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