春、西海岸、河口近く (その4)

 穏やかな水面にピチョンッとニンフが落ちた。鱒の体の右側、およそ60cm。流れに乗って、やがて鱒の視界に入るであろうニンフそのものを視認することはできないので、もしも鱒が喰いついたなら、魚体の動きで判断して合わせるしかない。

 鱒の体がゆらめき、大きな頭が右に反転しつつ何かを追い始める。

『む!』

 下流へ動き出した魚体が、ふと、止まり、そして小さく顎を振った。

『今だ!!』

 しっかりとロッドを立て、ラインも引いて確実に合わせる。フックが鱒の顎を捉え、重みと緊張がロッドを引き絞る。いきなり水を割って突進が始まるかと思いきや、なんのことは無い、するすると魚影が寄ってくる。

『なんじゃそりゃ?』

 遠目で見ていたときよりも、はるかに大きく見える青い背中と茶褐色の胴体が、なんの苦労もなく、すいすいと浅瀬まで寄ってきた。

『こいつ、もしかして?』

 どういう理由か知らないが、大物ブラウントラウトの中には、フッキング直後はまったくファイトしないものがいる。数ヶ月前、別の川でルアーを投げていたときに、これも60cm級のブラウントラウトの背中に、スレでスピナーが掛かってしまったことがあった。

 なんだ、えらい大きな藻のかたまりを釣っちゃったなぁ........早く巻いてきて外そう、と思ってリールを巻いてくると、茶色い藻のかたまりに見えた物体は、大きなブラウンであり、潜水艦のブリッジのように突っ立った背鰭の付け根に、スピナーのシングルフックがしっかりと刺さっていたのである。

 かと言って、大暴れで逃げるわけでもなく、背中に付いたラインに引きずられるままに寄せられてきたその鱒は、悠々と、私が隠れていた場所の数メートル向こうを、上流へと泳いでゆく。

『うわ! あんな大物の、しかも背掛りでは、とても取り込めないな!』

 ニュージーランドの釣り規則では、スレ(foul hook)掛かりした魚はすみやかにリリースしなければならないので、途中で外れても取り込んでも同じことなのだが、あの魚体を見てしまうと、一度はランディングネットに納めて写真を撮ってみたいと思ってしまうのが、私の不徳の致すところである。お気に入りのルブレックスのスピナーを持って行かれるのも惜しいし。

 さらに上流へと鱒は泳ぎ去ろうとしたので、しかた無くロッドを立て、ドラグを締めてこらえてみた。

「ジジ、ジジジリリ、ジジジジーィ」

 と鳴り出したドラグの音とともに、ロッドは限界まで曲げられ、もう堪えられん! と思った瞬間、ふっと鱒の重みが消えた。ラインの先には、魂が抜けたように、フラフラとスピナーが付いているだけであった。

 重い引きは引きであったが、ファイトした、という感じは全くなく、

『なんだか身体が重いなぁ......年のせいか? なんか変だなぁ?』

 とつぶやきつつ上流へ泳ぎ去る鱒と、ごく静かに、力比べをしたような印象を受けた出来事であった。

 そんなことがあったので、今回の鱒も、自分の身の上に何が起こっているか、よく分かっていないのかも知れない。

『このまま、おとなしくランディングネットに収まるかな........そんなわけは無いわなぁ』

 などと思いつつリールを巻いてくると、寄せられた鱒とピッタシ目が合った。

『!』

「!」

 人の姿を目の当たりにした鱒は、弾かれたように上流へ突進した!


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