釣行日誌 NZ編  「5000マイルを越えて」

初めての1尾

1997/01/15(WED)-3

 テントの片づけを終えて居間に戻ると、ビルと松延さん夫妻が今日のイブニングの作戦を練っている。ビルが、

「イトウさんはイブニングをやるか?」

と聞くので、

「もちろん!」

 と答える。松延さんの奥さんもやる気十分である。この人にはほんと感心させられる。キャンプの生活も、押し寄せるサンドフライもものともせず、見事なキャスティングを駆使している姿は、ひとつの理想の女性像といえる。しかし、私も負けてはいられない。何としても1尾釣るのだ。

 軽い食事を済ませ、今度はビルが私を、デビッドが夫妻を案内してくれることになった。松延さんがマウンテンリバーでロッドを折ってしまったそうなので、私のスペアロッドを使ってもらうことにする。UFMの8フィート半、6番のロッドである。この竿では、管理釣り場のニジマスしか釣ったことはないのでロッドにとっても良い経験であろう。松延さんに、

「ちょっと柔らかめなので、大物が掛かったらゆっくりやってください」

 と伝えて、彼らの車を見送る。

 ビルのテラノに乗り込んでアウトフローリバーの下流へと向かう途中、高台でビルが車を止め、釣り仲間に電話している。どうやら明日の釣りの誘いをしているようだ。

 少し走っていくと、白いトヨタのピックアップトラックとすれ違った。ビルがクラクションを鳴らして車を急停車させ、バックしてゆく。トヨタもバックしてきて、ドライバーが顔を出す。

「やあ、ビル。久しぶり、調子はどうだい?」

「ああ、よろしくやってるよ。そっちはどうだい?」

「ぼちぼちさ。今日はこれからイブニングか?」

「そうなんだ。イトウさん。こちら、釣り仲間のブリントだ」

 ということで紹介されたブリントさんは、額の広く顔色の良いがっしりした体格の人物である。じゃあ、またあとで。ということで彼と別れ、再びアウトフローリバーを目指す。

「明日、明後日と、ブリントが君のガイドをしてくれるよ」

 とビルが言う。今から思えば、ビルのあの電話が、今回の私の釣行の運命を大きく変えることになったのである。

 ビルが見当を付けていた場所にはすでに2台の車が止まっていたので、もっと下流に入ることにする。このニュージーランド南島西部といえども入りやすい場所には釣り人がいるのである。

 45分ほど走って脇道に入り、橋詰めの空き地に車を止める。ビルが支度をする間、テラノのウィンドウを見ると、ガラスはニュージーランド製である。ビルに聞くと、車体の主要部分は日本製だが、他の部品はニュージーランド製も使っているとのことである。荷台のキャノピーは、南島の工場の製品であった。

 牧場のゲートを開け、羊の群を突っきりながら日の傾きつつあるアウトフローリバーのビル得意のポイントを目指す。

 アウトフローリバーはブルナー湖からビッグリバーまでの流程約20キロの川であり、私たちが釣った場所での様子は美濃市あたりの長良川といった雰囲気である。時刻は午後7時30分、あと2時間は釣れる。

 牧場の草むらを抜け、農道の轍に足を取られつつ歩いていくと、本流が大きく左に曲がり、そこに枝分かれした支流が再び合流しているポイントに出た。ここから釣ろうということになり、薮を分けて河原に降りる時に、イバラの刺がビッシリの潅木に手こずった。これが、噂に聞いていたヒツジの柵代わりに植えられたな潅木だろうと思い、ウェーダーに孔を開けないよう気を付けて水辺まで降りる。水辺はほんの50cmほどしか歩くところがなく、すぐそばをスピードを増した本流が轟々と下流へ向けて流れ去ってゆく。こんなところで鱒を掛けて下流へ走られたらどうしようと思いつつ、ロッドをセットする。

 リーダーはビルおすすめのバット60cm+ティペット180cmという変則パターンである。リーダーとティペットを結ぶときに、愕然とした。私はブラッドノットしか知らないので、こういった太い糸と細い糸を結ぶのには向いていないのである。3回目にようやく結び終えると、ビルが少しじれた様子で、

「あの支流と本流の合流点のたまりを、下流から狙ってみろ」

 と言うので、またまた逆手のキャストに苦しみながら、ロイヤルウルフを投げる。が、どうやらそのフライはしっかりと浮かずに半ば沈んでいるようである。夕暮れ間近の木立の陰のポイントでは、ビルもフライが見ずらそうである。

「おーい、おまえのドライフライは浮いているか?俺には見えんぞ?」

「ああ、ごめんごめん。いま、変えてみるよ」

 こんどは、孔雀の羽で胴をまき、茶色のハックルでウイングを巻いた我流のパラシュートを結んで投げてみる。手前から50cm刻みでフライを流し、向こう岸まであと10cmという水際を流していたフライが本流の大きな波に飲み込まれる直前、パシャッとしぶきが上がった!

「!!?」

合わせてみるが、わずかに遅れたようだ。

「うーん、遅かったな。まあいい、もう一度やってみろ」

 もう一度同じポイントを流すと、今度は本流の大きな波にフライを飲み込まれ見失ってしまった。やれやれと思いつつロッドを立てると、突如グングンという重みが伝わってくるではないか!それっ!と合わせると、ロッドは大きく曲がりだし、重量が下流へと走り始めた。

「ビル!食いついてるよ!」

 と叫んであわてて下流へ歩み始めると、ビルが落ちついた声で、

「そんなに大きくないからここにじっとして、ラインを張ってロッドを立てていろ!」

 と指示してくれる。ホントに大きくないンか?ロッドは曲がりっぱなしであり、鱒は本流の一番早い流れに逃げ込んで途方もない圧力をかけ続けている。

 なんとかロッドを岸側に傾け、魚体を緩い流れに入れようと思うが、向こうも流心から出たくないので石のようにじっとしたままである。ラインのたるみをリールに巻き取り、いよいよやりとりが出来る体勢を整えることが出来た。ロッドのバット部分を握りグリップエンドを肘に当て、鱒の強烈な引きに耐えながら遠くに霞む夕暮れの雲を見ると、

「ああ、本当にニュージーランドの鱒と、こうして戦っているんだ」

 という実感がふつふつと湧いてきた。

 次の一瞬、水面に顔を出した鱒が見えた。40cmぐらいだ。しかし、この引きの強さと粘りの長さはどういうわけだ。顔を出させて空気を吸わせようと思うが、川底に張り付いたように出てこない。それどころか、またラインを引き出して本流のなかへ突進していく。ビルはのんびりと巻きタバコを用意し始めた。

 うーんギリギリ、えーいギリギリと少しずつリールを巻いてゆく。ビルが、

「そのまま後ろに下がっていって、緩いたるみに鱒を誘い込め」

 とアドバイスしてくれる。ああ、親父と同じ事を言っているな、と思いだし、滑りやすい石ころに気を付けて、ゆっくりと後ずさる。

 合流点のたるみに鱒が入り込んだので、やれやれと思ったのだがそんな間もなくまたしても鱒は本流の流れに突進してリールを鳴らし始める。ドラグ調整クリックを一つ上げ、強い方から2番目に合わせるとやっとラインの出は止まるがロッドはのされ気味である。それでもこれでもとうとう鱒は弱ってきたようで水辺で右往左往し始めた。

 しかし、である。ビルはランディングに網を使わない主義なのである。岸に跳ね上げて手で押さえろと言う。うーん、それでは、やるか!必死で暴れる鱒を岸に跳ね上げ手で抱える。

「やったーぁ!ビル!釣ったよーっ」

「よしよし」

 銀色に輝く若い魚体は、オチョボ口のブラウントラウト、36cmであった。しかし、1尾は1尾である。0と1の間には無限ともいえる格差が広がっているのである。

初めてNZのブラウンを釣った

 ビルが写真を撮ってくれる。ロッドとリールと私の手製のランディングネットを添えて。私もベストからカメラを出して写真を写す。ようやくこれで家に帰ることが出来る、と安堵した。しっかりとビルとの握手を交わし、鱒を流れに戻す。またいつか会おう。

 その合流点のポイントを再度流してみたあとで、支流へと釣り上がる。木立が両側から立ちこめており、狙う水面にフライを投げるのは難しそうである。おまけに背後にも枝がある。しかし、流れ込みからよどみへの暗がりは、いかにも大物ブラウンが潜んでいそうな好ポイントである。

 左側からサイドキャストするが、距離が足らず目標の流れ込みには届いていない。ビルが、

「横から投げずに真上から投げてみろ。シャープに振れば枝には掛からないから」

 と言うので、ほいじゃあと思い、真上からキャストすると、ラインのループは見事に小枝の間をすり抜けてドンピシャリで流れに落ちた。流れを下って来たフライにパシャッとしぶきが上がる。それっ!と合わせると、バシャバシャッと走ってからあっけなく魚体は外れてしまった。今のは小さいから気にしない気にしない、とビルに言われすごすごと上流へ向かう。

 今度は、本流の流れが開けた場所で、岸沿いの弛みのポイントを下流から狙っていく。左右に2回ずつキャストし、3m進んで再び2回というパターンでのキャストを繰り返す。

「キャストしたら竿先を下げる。流れに従って余りのラインを手繰り寄せ、次第に竿先を上げてゆく。3m流したら竿をゆっくり上げてフライをピックアップし、再びキャストするんだ。フライから目を離すなよ」

 そのアドバイスを聞いてはいるのだが、日本の川では難なくこなせるその一連の動作が、ここではなぜかチグハグとなり、流しすぎたフライをピックアップする時にビルの足や自分の背中を釣ってしまう。

 テントの中でデビッドから詳細に聞かされたはずの私の釣りのレベルを自分の目でもしっかりと確認したせいか、ビルの目にはある種の決意とか覚悟ができたようである。それが何なのかはわからなかったが。

 夕暮れの日差しが真正面から当たり、空も水面もただ一面の琥珀の輝きとなってしまった。見ているだけなら申し分無い景色だが、水面を流れるフライがまったく見えないのである。

「あの瀬のアタマに二尾いるな」

 とつぶやくビルの声が、またしても私のキャストに微妙な影響を与える。外国の川では、リーチやらカーブやらスラックラインやらのキャストが出来なければ釣りにならないと信じ込んでいた私は、狙った目標に対し正確な位置とラインの長さで、きちんとしたストレートキャストが出来ることの重要性を思い知らされた。基本が大事なのである。

 結局その逆光の瀬の中の二尾は反応せず、今日のラストチャンスをビルのお気に入りの大淵で狙うことにして、再び牧場の中を横切って上流へ向かう。夕焼け空に虹が架かり、私の貴重な1尾を祝福してくれているようだった。

 河原に降りると遠くに大きな淵が見え、そこから先は川沿いには行けないようである。その下流では本流脇の淀みが深くなっており、チャラチャラと細い流れが注いでいる。

「暗くなってきたから良く見えて良く浮くドライでやってみよう」

「エルクヘアカディスはどうだろう?」

「ああ、それでいいよ」

 フライボックスから、パターンブックを見ながら自分で巻いた暗緑色のハックルに白いウィングを付けたエルクヘアカディスを取り出し、きちんと結んでティペットを引っ張って確認する。言われたとおり、3m流しては3m進み、を繰り返す。アウトフローリバーはすでに暗闇に呑まれつつある。

 もう少しで上流側の流れ込みまで達するというところで、フライの後ろに大きな黒い影が潜水艦のように浮上してフライをくわえ、ゆっくりと沈んだ。

「それっ!」

 デビッドに言われたとおり、ロッドをまっすぐ上げ、右手でラインを引っ張って確実に合わせる。大きな魚影にふさわしい重量がグングンとロッドを引きながら猛然と下流へ突っ走る。ドラグがジジーッと音を立て始める!さっきの1尾とはぜんぜん違う走り方だ。果たしてこの1尾をキャッチできるのか?

 と思ったらフワッと鉤がはずれ、むなしくたるんだラインが寄って来た。

「あれーっ!? はずれたぁっ!」

「おう、今のは大きかったなぁ。残念残念。まあしかし、良いストライクだったさ。俺には見えていなかったんだから」

 うーん、確かに今のは大きかったなぁ、あのスピード、あの重量。しかし、あの重い魚体をこの本流の速い流れの中でどうやってランディングするんだ?という疑問がむくむくとわきあがってきた。

 時刻はもうすぐ午後10時である。今日のイブニングの釣りはここまで、というわけでビルと宵闇の迫る牧場を横切って帰路に付いた。

茜に染めて夕日が沈む

 やれやれ、何とか1尾釣り上げた。これで国へ帰れる。


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