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大雨の日の読み物に  釣りキチ三平 フライフィッシング編

矢口高雄 著  講談社漫画文庫 7・8巻
ニンフの誘惑の巻、前編・後編

ISBN 4-06-360127-7 及び 4-06-360128-5



 大学の先輩であるS君(といっても年は彼の方がはるかに若いのであるが)が先月日本に帰り、手みやげに持ってきてくれたのがこのコミック本二巻、「釣りキチ三平:フライフィッシング編」である。

 昨年、平成版として新シリーズの展開が始まり、かなりのヒットとなっているそうである。連載当時には、少年マガジン誌上で読むことよりも、立ち寄ったラーメン屋さんとか定食屋さんに置いてある単行本を読むことが多かったように思う。一番懐かしく思い出すのは、銀山平にある釣り宿「荒沢ヒュッテ」さんに全巻(だったと思う)が揃えてあり、五月の連休に泊まって翌日からは奥只見の渓で岩魚釣り! という晩に、明日の釣行を控え興奮しながら読んだことである。

 久しぶりに釣りキチ三平を読んだのですっかり夢中になり、あっという間に二巻を読破してしまった。その後、各ページ毎に丹念に味わいながら二度、三度と読んだ。以下は、どうして「釣りキチ三平」は面白いのか、そのちょっとした考察である。

夢とロマンあふれるターゲットの魚たち

 「釣りキチ三平」の魅力の第一は、まず何と言っても、夢とロマンあふれるターゲットの魚たちにあるだろう。このフライフィッシング編で登場するゴールデントラウトを始め、根釧原野のイトウ、四万十川のアカメ、三日月湖の巨鯉、八郎潟のムツゴロウ、O池の滝太郎、そしてハワイでのブルーマーリンやカナダのキングサーモンなど、少し思い出しただけでも次々と巨魚、怪魚の姿が思い出される。連載が始まったのが1973年だそうだから、当時私は小学校の五年生だったことになる。それまで近所でハヤぐらいしか釣ったことがない身にしてみれば、なんとワクワクする対象魚たちだったろうか。イトウやアカメなどの大物に混じって、ムツゴロウが選ばれているところも通好みである。潟スキーの場面なんて、今でも思い出すなぁ。

 驚くべきことは、上述のどの魚も、泳いでいるところ、静かに身をひそめているところ、獲物を捕食するところ、水上にジャンプするところ、少し弱ってきたところ、ランディングされる瞬間など、実に活き活きと、リアルだけれど躍動感を失わずに描かれていることである。
さらに、どの魚についても、ストーリーの中に生態や生息環境、釣魚としての面白みや難しさなどがきっちりと描き込まれており、読者も三平といっしょにそのターゲットを狙っているような臨場感を楽しむことができるのである。

魅力的な登場人物、ライバルたち

 魅力の第二は、登場人物の面白さ、特に三平のライバル達のキャラクターであろう。主人公である三平三平君と一平じいちゃん、幼なじみのユリッペ、そして行方不明になっている父など。主人公である三平について言えば、天性の明るさ、行動力、旺盛な探求心、そして秋田弁をしゃべるところが魅力だと思う。標準語ではあっさりし過ぎているし、かといって九州弁ではまたちょっとちがった印象になっていたのではないか?

 さらに、毎回異なるターゲットの魚とともに、釣りのライバルもまた、実にいろいろなキャラクターが登場するのである。三日月湖の巨鯉の時にはライバルであった魚紳さんは以後、ほとんど三平と行動を共にするようになるが、フライフィッシング編での風来満(フライマンというあだ名がすごい、というか本名が絶妙)、イトウ編での谷地坊主という怪人、投げ釣り編におけるシャークの甚という少年、ムツゴロウ編での少年(名前忘れました)、茜屋流の投網の青年(名前忘れました)などなど、実に強力で侮りがたいライバルが続々と出てきては三平とどれも忘れがたい勝負を展開するところが面白さであり、連載があれだけ長く続いた要因だと思う。それに しても、こうした想像力豊かな釣りのドラマを、一人で脚本と作画を(もちろんアシスタントはいるにしても)週間ペースで繰り返しながらあの長期間続けたのだからその体力と根気強さにはただただ感心するばかりである

生き生きとした自然描写、そしてディテールの描き込み

 ロマン溢れる対象魚、魅力ある登場人物、これらが生き生きと躍動する舞台である渓流、湖沼、海といった自然描写の見事さがこの作品の面白さの第三のポイントである。秋田の里川、釧路の湿原、四万十の河口近く、和歌山の鮎の川原、ハワイの大海原など、圧倒的な臨場感のある背景、一枚の木の葉もおろそかにしない描き込みがあって初めて三平を中心とするキャラクターたちの活躍が引き立つのだと思う。

 作者の矢口高雄氏は手塚治虫や白土三平に影響を受け、水木しげるの元でアシスタント修行をしたそうであるが、たしかに背景のタッチには、白土三平に通じるものがあるとおもう。

 また、釣り具はもとより民家の構造、家具のディテール、登場人物の衣類など、実に細かなディテールまで描き込まれているところに作者の良心が感じられる。矢口高雄氏の仕事場には、鳥獣虫魚から民俗、歴史、地理などありとあらゆる資料が揃っているそうであるが、そうでなければ描けないなとうなずかされた。

ひとくちコーナー

 「釣りキチ三平」では、その時々のテーマとなっている釣りについて、作者が解説してくれる一口釣りコーナーがあるのだが、これがなかなか読み応えがあってためになる。どのテーマにおいても、短いページながらも、要点がよくまとめられ、実際に役立つ情報が詰まっていた記憶がある。フライフィッシング編 ・巻:p82-83に載っているフライコーナーでは、グラスロッドの穂先と毛糸を利用した毛糸キャスティングが紹介されている。この方法は、たしかダグ・スウィッシャー氏も推奨していたように思う。

 さらに、フライフィッシングの入門書としても、この・、・巻は普通に売っている入門書と同じくらいの内容があるのではないか?とも思う。

漫画の中から

 これしか読む漫画がないこともあり(笑)、数回読返すうちに気がついたポイントをまとめてみました。もしお手元に本があるのでしたら、どうぞ参照してみて下さい。

フライフィッシング編 7巻

表紙カバー
 赤い長袖シャツ、白いTシャツ、黄色いフィッシングベスト、青いジーンズと、憎いまでの配色の妙が味わえる三平のスタイル。それにしても、長袖シャツの上にTシャツを着るというのはどのあたりから来たファッションだろう?

表紙
 種々のフライの特徴が見事に捉えられたイラストに感動。ストリーマーのウィングとドライのハックルとの質感の違いが見事に表現されている。感動。

p14-15
 圧倒的な密度と迫力で描き込まれた背景に驚く。針葉樹、広葉樹、河岸の草むら、枯れ木などなど。三平の使うリールはハーディのフェザーウェイトのようにも見える。実際にモデルとなったのはどれだろう?

p16-17,41
 一平じいさんの仕事場のディテールが興味深い。竹竿を矯める道具(名前をなんて言うのか?)や束ねられた竹など。

p18,23
 鴨居の上に掛けられた三振りの和竿の袋の描き込みが凄い。実際、三平は釣り場に行くときにこんな竿袋を使っている。(p300など)

p23
 襖 の模様の描き込み、とても根気のいる作業だと思う。文字通りホンの一コマの描写ではあるが。アシスタントの方々の労作か?

p24
 フライロッドの包み紙に Browning とあるが、これはロッドメーカーかそれともアメリカにある大手の販売店か?

p43
 何気ないカットだが、ガラス戸越しに見える近所の家並み、遠くの山並みの美しさに惹かれる。

p45,56,83,
 秋田地方の農家の構造ディテールの描き込みが凄い。建築資料としても役立つのではないか?

p94
 タラコくちびるの郵便配達さんが愛らしい。(笑)

p108-109,113,256
 川原の石の描き込みが凄い。たくさん石を描くとどれも似たようなシェイプになってとかく単調になりがちなのだが、見事に「自然な」川原を紙上に再現している。コマ割りも絶妙。

p110-111
 三平の鋭い振り込み、フライラインの力無い失速を見事に描き分けている。

p115
 ここまで描いて気づいたのだが、三平のかぶっている麦わら帽子の描き込みはスゴイ。私が作者ならぜったいこんな帽子をかぶせない。普通の野球帽にしておく。だって模様の描き込みが尋常でないくらい大変だもの。

p165,200
 ロールキャストにおけるラインの航跡の表現が見事

p221
 今ではほとん ど見られなくなった木橋のディテールがよくわかって嬉しい。

p246,295
 まごうことなき秋田の里山がここにある。

p300,301
 三平の竿袋のような生地があったら欲しい。(笑)

p301,306-307
 里川の川原から、ヤマメの穴場の渓流に来ると、がらっと渓相が変わることが見事に描写されている。

フライフィッシング編 8巻

p6-7見開き
 ゴールデントラウトの魚体の描写がとても迫力ある。題字も独特の味があって活き活きとしており、絵とマッチしている。

p8-9
 見開き両ページに描かれた渓流の1ポイント。モノクロページではあるが、流速の速いところと遅いところ、水深の大小、流れの有無などが見事に描き込んである。

p12-13
 魚紳さんが振り込むフライの軌跡、フライラインの挙動などが的確に表現されている。フライの描き込みも見事。背景の樹木の枝を、流れるように描くことでフライ投射のスピード感を出している。それにしても魚紳さん、足が長い。(笑)

p16-17
 三平があっさりS字キャストをものにすることに脱帽。オレも練習しようっと。(笑)

p22
 合わせの瞬間、水面に浮いていたフライラインがピューッと持ち上げられるところの描写が上手い。見ているだけでわくわくし てくる。

p27
 各種ニンフの描き込みが丁寧である。タシロニンフが挙げられているところが面白い。原典はなんであろうか? ・巻表紙のフライとは絵のタッチが違うので、このページはアシスタントの手によるものか?

p28
 カゲロウの羽の透明感、質感が見事。

p37 右下の1コマ
 なにげない1コマではあるが、ヤマメの眼の描き方が上手だと思う。実際にニンフに注目しているように見えるから凄い。

p45
 一瞬ツツッと張ったティペットがフニャッとフケるところがリアル。イワナだったらこんなアタリが出るだろうなと思わせる。ああ、釣りに行きたくなってしまった。

p46,49
 躍動するイワナの魚体、実感あふれる描写。魚が元気な時と弱ってきた時の描き分けが凄いと思う。

p59
 テーブルの上に置かれた一枚の地図。その地図の等高線の描き込みに脱帽。アシスタントの方、大変だったろうなぁ。

p70
 一平じいさんが竹竿を矯めるのに使う火鉢の形状が面白い。これもどこからか資料を集めて描いたのだろうなぁ。

p79->80
 行者湯の一部屋で聞かされた梢さんの回想場面から、一平じいさんが新聞記事を見つけだす場面への切り替えが見事。

p82
 橘源三郎の転落シーンの描き方は、「カム イ伝」など白土三平の時代劇をほうふつとさせるものがある。

p93
 5月の秋田か? まだ残雪のある山肌の描写を見ると、奥只見の山中にイワナを求めて分け入った大学時代のゴールデンウィークを思い出すなぁ。

p100
 橘源三郎の飲む日本酒のラベルは「北鹿」とあるが、これは白鹿のモジリであろうか?(笑)

p108
 魚紳さんと三平がランディングネットに残る魚の匂いをかぐところがリアル。これは釣りをやった人でないと描けないと思う。たまにランディングネットを部屋に持ち込むと臭うときがあるからなぁ。

p113
 絵から見て、これは一本杉ではなく、一本松ではないか?珍しいミス。

p116
 スクリーントーンを用いた松の樹皮の表現が上手い。

p149
 水中の倒木にニンフが引っかかってしまう場面をさりげなく挿入している作者のストーリー展開の妙に感心する。実際ニンフで釣っていると根掛かりが多いからなぁ。

p158
 どうやら三平は重いゴムのウェーダーがあまり好きではないらしい。(笑)

p174
 橘氏が、ゴールデントラウトの稚魚の他に、ワカサギまで放流していたというリアリティ溢れるストーリーに大いにうなずかされる。

p176
 矢口フライコーナーでの、ワカサギ・ヨシノボ リ・カジカの実物とフライ、それぞれの描き分けに感心する。

p178-179
 躍動感いっぱいのキャスティングシーン、コマ割りが上手いなぁ。

p191
 大きく水面を割って飛び出したゴールデントラウト。これを見ているだけで釣りに行きたくなるネ。

p260
 皆既日食に合わせて突然始まったゴールデントラウトのライズ。これもまた、矢口高雄のストーリーテラーとしての才能の現れの一例。なんと胸躍るシチュエーションであろうか。そして、ライズもまた、日食の終わりと共に止んでしまうところがリアル。

p288
 至るところにゴールデントラウトのライズがあるのだけれど、なぜか三平の投げるニンフには喰いついてこないところが泣けるほどリアル。(笑) きぃーってなため息が出そうなシーンである。作者はフライフィッシングの面白さをよくご存じである。次なる魚紳さんのアドバイスも的確。

p300
 ライズ終了の後、一瞬の間をおいてのヒット。おおこのストーリー展開の妙よ。

p322
 一筋縄ではいかないランディング。これほどドラマティックではないけれど、よく経験しました。

p340
 エキサイティングなドラマの後の、静かな湖畔のたたずまい。印象的なエンディングである。

 秋の夜長、フライフィッシングが好きなあなたに、ぜひ一度読んでみていただきたい二冊です。

2002年 10月 1日 火曜日

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