飛行日誌

君の夢につばさはあるか。 ~ かかみがはら航空宇宙科学博物館を訪ねて

 25年来の友人であり恩人でもあるS君からメールが来た。今度の日曜日、各務原市にあるかかみがはら航空宇宙科学博物館に行こうというお誘いである。すぐに食いつき、日曜日の朝、バスと電車と地下鉄を乗り継いで、S君のアパートのある名古屋の池下に向かう。地下鉄の駅を降りると交差点の角に車を停めて待っていてくれた佐藤君に会う。久しぶりの再会である。S君は、今は普通のサラリーマンであるが、一昔前には、南極観測越冬隊にも参加した強者なのである。

 車は、ナビに従い一路各務原を目指す。11時を過ぎた頃に各務原市内に入り、ちょっと早いが、昼食をとることにした。S君が営業活動の途中で目を付けておいたラーメン屋「伝丸-21号各務原店」に入り、彼は味噌ラーメン、僕は塩ラーメンのバター入りを頂く。これがまたうまい。麺の縮れ具合とだしの効いたスープが絶品である。あまり塩辛くないのがおいしい。S君はライスを頼んだが、メタボリックな僕は遠慮しておいた。

 さて、かかみがはら航空宇宙科学博物館である。

 駐車場から場内に入ると、屋外展示場に駐機してあるYS-11A-500Rが目に飛び込んでくる。青と白のカラーリングも美しい。

名機、YS-11

 さっそくタラップを登って機内に乗り込む。操縦席の写真を撮り、客室へと入る。シートに座ると、足下がかなり広々としていることに驚く。エコノミークラスしか知らないが、現代の最新旅客機と比べても遜色はないのではないか?

YS-11の機内で

 続いて、P-2J 対潜哨戒機、US-1A 救難飛行艇などを見て回る。実機だけにその大きさはものすごく、逆にスケール感に乏しいように感じられる。(笑) 手で持ってグルグルと見る角度を変えられるプラモデルとは違い、翼を下から見上げるのは不思議な感じである。飛行艇の機首下面にある波消し板の形状が興味深かった。

US-1A 救難飛行艇

 館内に入って入場券を買い、一歩ウェルカムハウスに踏み込むとそこには、懐かしい(リアルタイムでは知らないのだが)複葉の陸軍 乙式一型偵察機(サルムソン2A-2)が展示してある。その周囲は、歴史的名機のディスプレイモデルがずらりと並んでいる。よく知っているのは神風号、零戦と飛燕ぐらいであるが、他の飛行機もすべて1/20のスケールで統一されたソリッドモデルである。こういうミュージアムモデルというのは、いったいどんな人達が製作しているのであろうか?

神風号のスケールモデル

 ディスプレイモデルを一通り見終わって、広い館内へ出ると低騒音STOL実験機 飛鳥の勇姿が目に飛び込んでくる。純国産のFJR710/600Sエンジンも展示してあるが、意外と小さなエンジンだなぁと思った。飛鳥はエンジンの排気後流を主翼上面に沿って吹き出し、フラップに沿って曲げることで大きな揚力を得ようとするUSB(Upper Surface Blowing)技術を採用しているそうである。STOL機では、ドイツのフィゼラー・シュトルヒが好きなので、大きく曲がったフラップを興味深く眺める。

 さらに進むと、川崎BK117型ヘリコプターやOH-6J小型観測ヘリコプター、XOH-1 新小型観測ヘリコプター(モックアップ)などが展示してある。ヘリのプラモが好きだったので、ついつい見入ってしまう。川崎BK117は機内に入ることができるので、S君の記念写真を撮ってあげた。

 次は、昔懐かしい、特撮モノの映画やドラマによく出てきたF-104J要撃戦闘機である。この小さな主翼でよく飛べるものだなぁと感心する。この機体がデビューした当時は、「最後の有人戦闘機」というコピーだった。怪獣の出現とともに発進し、あえなく叩き落とされるのもこの機体が多かったような気がする。

 この博物館には飛行機だけでなく、ロケットも展示してある。形式は忘れたが、ロケットの貨物スペースの内部を写真に撮った。ここから各種の衛星などが軌道に向かって放たれるのだ。

 さて、いろいろと見てきたが、今度は体験コーナーである。OH-6Jヘリのコックピットに座って、ペダルや操縦桿を動かすと、足下のガラス張りになった飛行スペースでヘリコプターの模型が操作に従って飛ぶというシミュレーターがあるのだ。さっそく入場券売り場に戻って整理券をもらってくる。少し順番待ちをした後でいよいよ僕の番が来て、いそいそとコックピットに乗り込む。腰を屈めないと頭をぶつけてしまいそうな狭さである。お客さんは右側の席、ボランティアの指導員さんは左側の席である。ペダルで左右の回頭、操縦桿の前後で前進と後退、左右へ傾けると機体が左右へ傾くそうである。スロットルは自動車のサイドブレーキのような形状であり、左手で操作するようになっている。

 さて、○にHマークの着陸地点から、徐々にスロットルを開けてゆくとゆっくりと機体が浮き上がった。

ヘリコプターのシミュレーションの模型

 ガチガチに堅くなっていて、ペダルや操縦桿をなめらかに操作できない。もう少し力を抜くようにアドバイスされ、すこしリラックスした。だいたいの飛行操作は指導員さんがしてくれているので問題なく飛んでいるが、自分だけでやっていたらあっという間に墜落だろう。それでも徐々に慣れてきて、旋回をしたり、着陸位置を調整したりしているうちにちょっとだけカンがつかめてきた。シミュレーターの模型はラジコンと違って二本のブームで支持されているので墜落の心配は無い。思い切っていろいろな動作を試す。とたんに機体の姿勢が乱れる。すかさず指導員さんが修正してくれる。あっという間に持ち時間は終わり、狭いコックピットから降りると、うっすらと脇の下に汗をかいていた。(笑)S君が夢中になっている僕の写真を撮ってくれていた。

ヘリコプターのシミュレーションの中で

 今度はS君が体験している間、シミュレーターのそばで待っていると、順番待ちをしている一人の外国人のおじさんがボランティアの整理員さんと片言で話をしている。こんにちはと言ってずうずうしく割り込んで話を聞いてみると、そのおじさんはアメリカのカンザス州からやって来たそうで、自宅の近くにボーイング社の工場があり、B767などの胴体部分を作っているとのことであった。こんどは整理員さんが、自分は長年川崎重工に整備員として勤めていて、日曜日にはボランティアとしてこの博物館で働いている、とのことを話されたので、僕の拙い英語で通訳してあげた。それから一気に会話が弾み、整理員さんが若い頃、仕事でドバイに行ったことやらカンザスのおじさんの昔話など、楽しい会話が続いた。すこししゃべっているうちに僕の英語のサビもだんだんと取れてきた。ふと横を見ると、熱心にガラス窓からシミュレーターのヘリの機体を見つめている外国人の若者がいたので、勢いづいて話しかけてみた。すると彼は、いままで話していたおじさんの息子さんであり、各務原の高校で英語を教えているとのこと。両親が休暇を利用して日本を訪れているそうである。

「あなたは釣りが好きですか?」

 と、一方的な質問をすると、

「まあまあだね」

 と笑って答えてくれた。若い息子さんは、KANGOL(カンゴール)のハンチングキャップを小粋にかぶっており、僕も同じブランドの帽子を持っていると言うと、うれしそうに笑ってくれた。

 S君が終わって操縦席から出てきたので、アメリカ人親子に別れを告げ、再び館内を見て回ることにした。機体の名前は忘れたが、9気筒星形エンジンの実物をカットモデルにして展示してあるのを見つけた。放射状に配列されたたくさんのシリンダーの中をピストンが順々に上下してゆくと、クランクシャフトで繋がれた中央にある回転軸がぐるぐると回るのである。これには感動した。人間の夢の力と知恵と技術というのは素晴らしいものだなぁとつくづく心が熱くなった。

星形エンジンのカットモデル

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/)』で「星形エンジン」を検索すると、エンジンの動作のアニメーションが見られます。)

 二階の展望台からは、博物館の屋上から吊された各種グライダーや人力飛行機を間近に見ることができる。人力飛行機、HYPER・CHick KoToNo Limited というのも、人間の夢の究極の形であるなぁと感動する。今日は一日感動してばかりなのであるがしょうがない。さらに人力ヘリコプター YURI-I まで展示してある。本当に人間の夢は果てが無いなぁと思う。

 で、その夢は大空を越えて宇宙へと向かう。別の展示室では、「愛・地球博」アメリカ館で展示された火星探査車がディスプレイしてある。この探検車は、火星に水があった証拠を見つけたそうである。人類が火星に到達するのはいつのことになるだろうか?

火星探検車

 さて、博物館巡りの最後は、一番のお目当てである、ミュージアムショップ「ブルーウイングス」見物と買い物である。昔懐かしい竹ひごのライトプレーン、ピーナッツスケール機、紙飛行機、プラモデル、書籍、DVDと飛行機好きにはたまらない品々が販売されている。S君が一つのプラモデルを手にとって、店員さんに、

「ここ、クレジットカードは使えますか?」

 と聞いている。かなり物欲と製作意欲をかき立てられたらしい。ほほえましい光景である。カードは使えないと言われた彼は、

「伊藤さん、お金借りられる?」

 と聞いてきた。

「ああ、あるよ」

 と答えると、どうしようかなぁとしばし熟考し、

「プラモデルを一つ買うと、塗料を最低でも10色は揃えないといけなくなるからなぁ」

 と残念そうにつぶやき、しぶしぶとプラモデルを陳列棚に戻していた。

 そんな彼の姿を見て、僕は昔の自分を思い出していた。小学校に上がる前、いくつの頃だったか忘れたが、あの頃はプラモデルが大流行していた。僕の住んでいた小さな山間の町でも、プラモデルを売っている店が四~五軒はあった。そのうちの一軒、とある雑貨屋兼駄菓子屋兼プラモデル屋に僕は父の運転するジープに乗せられて行った。父は車で待っていると言ったので、僕はまんじゅうを買うと言っていそいそと降りてゆき、ゼロ戦のプラモデルを買った。包んでもらった箱を持って車に乗り込むと、父は

「箱に入っているとは上等なまんじゅうだなぁ」

 と言って笑った。今から思えば、僕がプラモデルを買ったことは父にはお見通しであったのかもしれない。以来、小学校、中学校とプラモデル三昧の日々が始まった。ゼロ戦、B26、震電、Me-109f、Me-262、などなど。当時はまだ、塗料で色を付けるということは知らず、ただ素組みでキットを楽しんでいるだけだった。およそ20機は作った飛行機のプラモデルを自分の部屋の天井に黒い糸で吊し、布団に入る前に眺めては楽しんでいた。

 ディスプレイモデルだけでは飽きたらず、実際に飛ぶ模型飛行機にも夢中になった。おなじみの竹ひごライトプレーン。竹ひごをろうそくで慎重に炙り、翼端のアールを付けていく。主翼を固定するための輪ゴムをかける小さな釘を、中央桁に打ち込むのにいつも苦労させられたものだ。ある日、公民館の横の茶畑で友達のキヨシ君とゴム動力機を飛ばしていた僕は、母と近所のおばさん数人が農作業を終えて下の部落から帰ってくるところに出くわした。僕は自分の飛行機がどんなによく飛ぶか、母に見てもらいたくて、

「おかぁちゃん、ちょっと見ておって!」

 と言って、ゴムをしっかりと巻き、ライトプレーンを大空に放った。その模型飛行機はぐんぐんと上昇し、水平飛行に移って四回ほど旋回し、ゴムがほどけたところでなめらかに滑空してお茶の木の上に舞い降りた。完璧な飛行であった。ショイタを背負って、杖ん棒を突きながら立ち止まって眺めていた母は、

「よく出来たなぁ」

 と、やさしく声をかけてくれた。

 竹ひごライトプレーンでは、同じ頃、グライダーも作った。僕の家は山間の斜面にわずかに残された平地に建っており、家の前は深い谷になっているのである。ある晴れた日、家の前にある車庫の屋根に登り、もしかしたら遠くへ飛んでいって無くしてしまうかもしれないと覚悟を決め、目の前に広がる谷をめがけてグライダーを押し出すと、上昇気流に乗ったグライダーは、風に翻弄されながらも見る間に上昇し、しだいに機影が小さくなって、もう翼のきらめきでしか確認できないところまで飛んでいってしまった。はるか向こうに連なる峰の杉木立あたりを遠ざかってゆく光の点を、車庫の屋根に座っていつまでも見続けていた。

 小学校の六年生頃、祖父が誠文堂新光社の「よく飛ぶ紙飛行機 切り抜く本」二宮 康明著 を買ってきてくれた。白い厚紙に印刷された飛行機の型紙を切り抜いて、セメダインCで貼り合わせ、翼のキャンバーを注意深く手で曲げると、本当によく飛ぶ紙飛行機が出来上がった。出来上がった機体は滑空競技用機、戦闘機など、実機の飛行特性をよく反映させており、ゴム式カタパルトで打ち出したP-51ムスタングの機敏な動きには子供ながらに感心させられたものである。低翼で上半角の大きい機体が見せた素早い旋回は、本当に心が躍った。

 中学二年生の時に、叔父がアメリカのテスター社製のUコン機を買ってくれたことがあった。第一次世界大戦で活躍したドイツの複葉戦闘機、アルバトロスのスケールモデルで、エンジンはCOX049が付いていた。乾電池でプラグをヒートさせる仕組みになっていたのだが、ピンク色の燃料を注いでいくらクランクしても、最初に一回プスンと青い煙が出ただけで、とうとうエンジンを始動することはできなかった。それでもあの燃料の鮮やかなピンク色と揮発性の匂いだけは記憶に残っている。

 実際に飛ぶ模型飛行機への情熱はさらにエスカレートし、電車に乗って新城市にある模型専門店まで出かけて、京商のフリーフライトのグライダー(名前は忘れた)を買ってきた。翼長は1,500mmぐらいあり、赤いプラスチック製の胴体と、白い強化発砲スチロール製の主翼・尾翼のコントラストが美しいグライダーであった。実家の隣の緩やかにスロープになったお茶畑の上の端から投げると、音もなく滑空し、地面効果で着地間際にスィーッと伸びてお茶の木の上に舞い降りるのである。あの機体は、中学校三年生の時に、明神山(標高1,016m)の頂上まで分解して運び上げて、それから組み立てて飛ばしたのだが、尾翼のトリム調整がうまくいってなくて、全然飛ばずに遙かな崖下に墜落してしまった。今でも探せば機体の残骸が見つかるのではないかと思う。

 この頃、マブチモーターから、当時流行っていた水中モーターの向こうを張って、「空中モーター」なるものが売り出された。小型のニッカド充電池を二個用い、小さなプロペラをモーターが回すのである。電池ホルダーの所に、ライトプレーンの胴体にも固定できるアダプターが付いており、僕はその空中モーターを、大きめの竹ひごプレーンの機首に取り付け、翼をうんと前進させて重心を調節し、やはり近所では一番広かった茶畑で飛ばした。力強く回るモーターによって高速回転するプロペラによる推力は十分で、ライトプレーンは茶畑の端から端まで飛んで、隣家の蔵の黒い壁にぶつかった。どこも壊れてはいなかったが、電池ホルダーが外れて、ニッカド電池が飛び出していた。

 数々の想い出が、販売されているいろいろな模型に触発されて蘇ってきた。

 博物館を出ると、大勢の保育園児たちが見学になだれ込んでくるところであった。大空にあこがれた数多くの先人たちの夢がこの博物館にはたくさんあるなぁと思った。自分にも子供があれば、迷わずここへ連れてくるだろう。

 夕方はS君と名古屋駅の地下街に繰り出し、ユニモールの和風スパゲティ屋「洋麺屋 五右衛門」に寄り、鮭とタラコのマヨネーズ和えスパゲティ大盛りを頂いた。鮭の切り身とタラコの食感が素晴らしく、おなかが空いていたので、あっという間に平らげてしまった。

 ビックカメラへ寄っていくというS君と名古屋駅で別れ、一人名鉄に乗り込む。暗くなりかけた街の灯が次々と走馬燈のように走り去っていく。ふとポケットをまさぐると、博物館の入場券が出てきた。キャッチコピーは、「君の夢に翼はあるか?」である。

 今、僕に夢はあるか? その夢に翼はあるか?たしかに、子供の頃の夢であったラジコン飛行機は飛ばせるようになったけれども、それで満足してしまっていて良いのだろうか? なにか、生涯をかけて追い求めるに値する夢はあるのだろうか?

 電車の窓を走り去る風景を眺めながら、一人考え込んだ日曜の夕暮れであった。

2008/2/24

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