父の釣り口伝
肇の魚釣り初め その3 逃げちゃったニジマス
な、おれが子どもの頃はそういう時代だったんだ。
それで、俺もそうやっては魚釣っておって魚を炙るわけだけど、おれはもう当時からさおじいちゃんが名古屋におるら。それで今から考えるとな、フォードでいろんな車に乗るらぁ(注:肇の父の伊藤文三は当時のフォード自動車尾張支店に勤務していた。)、その車のペンキの缶だわい、直径が十七~十八センチで深さが二十五センチぐらいあるんだわ、それで取っ手が付いておるらァ、それをくれたんだわ。
するとみんな欲しがるんだなぁ。今ならさあ三百円も出せば子どものバケツぐらい売っておるんだけども、そんなもの買える時代ではないしありもせんし。
それからこんだァ親父がそれを聞いてよォ、そんなもの持って行ってやるって言ってはそのペンキの缶を持って来てはおまえにもやる、おまえにもやるって言ってそーんな時代だった。それで釣る。
それでそのうちにおれは毎日手伝いはしないで遊んでおるだもんで毎日魚を釣る~上手になる、ていうわけでやっておって、だんだんだんだん上手に釣るようになる。
そこでなァ今から考えるとなあ、ニジマスだなあ、それを古戸の消防団がどっかから買ってきていまの公団のトンネルの出口の沢、あれに放したわけだ。ほいで、一切禁漁だっちゅうわけだ。子どもたちもニジマスを釣っちゃうで行ってはいかんと。
で、おらも行けれなんだわけだ。そうしたらうちのおじいちゃんが古戸へ来て、
「そりゃあ消防さん、ダメだっ」
て言うわけだ。ニジマスっていう魚は定着せん魚だで、下流へ下がってしまうでそんな禁漁にしたって意味が無い、こう言ったんだけど、消防の衆は
「なにをこのじいさんは言っているんだ?」
てなもんだわなァ。ところがさあ、二年ばかし禁漁にしておいてニジマスが尺くらいになっただろうと消防さんたち水鏡(水中を除く箱めがね)でみて回ったら1尾もおりゃあせん。
--みんな下がって行っちゃたんだ。
うん、そういう事件もあった。