父の釣り口伝
ウナギ釣りのこと その1 初めてウナギを釣り上げる
--最初にウナギ釣ったのは古戸だったの?
おう、俺がなぁ、小学校の三年生ぐらいかなぁ?おらのおじいちゃんていう人が、三年生の時の三月早々に死んでおるでなぁ。あのおじいさんが生きておったか死んどったか定かに記憶が無いだけど、とにかく三年生の時だ。
あの時分中っ原になぁ、家が大きいもんで、小学校の先生を下宿させとっただよ。今みたいに社宅だ寮だって恵まれてないもんで。でそん時に、武藤っていう先生がおったんだ。その人は名古屋の人でな、今の東山動物園の方の、昭和区の出の人だったんだ。昔の中学を出て、代用教員ていうことで中原に下宿しておって、その人はお金持ちの坊ちゃんで小遣いには困らんもんで川を買うわけよ。それでもあの当時は引っかけだけじゃないもんで、川を買うとアユを釣ってもいいしその後で引っかけやっても良かっただ。
それであの時分にどうだいなぁ、中原の前をよく買っただけど、五円くらいのもんだったと思うよ。代用教員の給料なんて安いもんであの当時四十円とかそんなとこじゃなかったのかなぁ。それでとにかく川を買うだ。それで八月になってくると、網を巻いて引っかけをするというわけよ。そうしたところが俺は小さいわけだ。それで長兄ィなんてのは俺より五つ六つ上だしなぁ、若い衆だもんで俺をばかにしてさぁ、
「お前はあっち行け。邪魔だ」
と、こう言うわけだ。コンチクショウと思ったところがしょうないわなぁ。それで引っかけの所に来たいなら、みんなの引っかけたアユを手網で受ける手網持ちをしろというわけだ。
「ばかにすんな!」
っていうわけで、俺は水鏡(木枠にガラスをはめて水中をのぞく道具)持っておるもんで、ちょっと離れた方で引っかけてやろうと思ってやってみたんだが、網を巻いてなけりゃあできやせんわなぁ。
そうこうしておるうちに、野郎達は上流へ移動していったもんで入った後へアユの残りはおらんかと思って見ておったらさあ、そうだなあ、このぐらいのウナギだもんで目方でどうだ、百五十匁ぐらいあるか?なぁ。そのウナギが岩からこのぐらい顔を出してさぁ、アユの血やらなにから臭うもんで顔だして嗅ぎ回っておるわけよ。
「やい、これはこれは! なんてこったい!」
と思ったところが、どうやって捕ったらいいかわからんもんで、そこへ道具を置いといてよう、古戸の白川のお医者様の所へとんで行ってさ、
「おじい、おじい!」
「なんだ?肇」
「これこれこういうわけで、今引っかけやっとったらこんな太いウナギが穴から顔を出しておるだけど、どうやったら良からぁ?」
「そんなもなぁわけはない。ふて鉤の鉤で作ってやるわ」
って言っておじいが仕掛けを作ってくれたんだ。
「これになぁ、引っかけで捕ったアユの小さいやつを付けて差し出せばすぐに喰っつくで、喰っついたと思ったら引きずり出せ」
と、こう言うわけだ。それから俺はみんなには黙って行ってさ、あの時分にはそういう釣りの道具とかなんかは遅れておったもんで、釣ったアユをなぁ、お蚕に使う桑摘み篭あるらぁ、あれへ入れておくんだよ。ところがあれ良くねぇんだよ。水の流通が悪いらぁ、アユが死んじゃうんだよ。そこへ行って篭の中を覗き込んだらこんな小さなアユが死んでおる。よしっ!ていうわけで持ってきて。
あんなもなぁすぐ喰っつくわなぁ、喰いたくてたまらんでおるウナギだもんで。それから引っ張ったところがなかなか出て来やがらんで、一生懸命引っ張ってとうとう引きずり出して陸へずり上げたらみんな見に来てさぁ、
「どうしただ、肇?そのウナギ?」
「どうしたもこうしたもねぇ、おらが釣ったわい!」(笑)
そうしたら野郎ん達、一杯飲むでそのウナギよこせって言うわけだ。だけどおまえら俺を仲間にせなんだでやだって言って、お医者様へ持ってって、蒲焼きにして家に持ってきて、おばあと喰ったったよ。おじいははいおらなんだで、おばあと喰った覚えがあるで、三年生の夏だったよ。
それがとにかくウナギっていうものを釣った最初。ふて鉤を除いてな。ふて鉤っていうのは長兄ィ達もやるもんでおらも真似してやるだが、あれはなぁ朝早くできれば暗いうちぐらいに行って上げないと、明るくなるとねぇウナギっていうやつは明るいところが大嫌いなもんだから、後で死ぬかっていっても口を引きちぎっても逃げちゃうだよ。それだもんであのふて鉤っていうのは朝寝坊じゃあできんだ。それが一番最初でさぁ。