2000年2月 いよいよワイカト大学へ

2/2 (WED)

 朝8時半に名古屋空港に着く。気温は零度、やたら寒い。名古屋駅まで来てさっそく本屋に行き、欲しかった文庫本、環境問題の本などを買い込む。あっという間に6千円を使う。

 久しぶりの日本であるが、人の多さに驚く。市営地下鉄の値段の高いのにも閉口する。

 父が岡崎まで迎えに来てくれたので、軽自動車でトコトコ田舎まで帰る。

2/4 (FRI)

 劇団員である友人の出演する劇が多治見市で開かれるので見に行く。久しぶりの舞台劇の興奮と感動を味わう。

2/5 (SAT)

 午前中、名古屋時代にお世話になったTさんの家で楽しいお話をさせていただく。お昼にいただいたすき焼きやお浸しが感動的に美味しい。

2/6 (SUN)

 兄の家へ行き、近くの自動車販売店へ中古自動車を見に行く。目当ての14万円のコルサはすでに売れていた。世の中厳しい。けっこうマメに見ている人はいるんですねぇ。

 頼んで買っておいてもらった新書など20数冊を受け取り、むさぼり読む。

2/16 (WED)

 朝、大雪の中、兄の家から戻る。昼からハードディスクのセッティングを行う。古い外部ハードディスクが汎用フォーマッターソフトで使えるようになったのでとてもうれしい。

 先日、地元の中学校(母校)に、英語の参考書や写真集を少しばかり寄贈した。その時知り合った英語の先生と、カナダから来ている英語の先生(ALTだったっけ?)と三人で夕食を楽しむ。

2/25 (FRI)

 日本での三週間はあっというまに過ぎた。懐かしい人達に会えて楽しい、そして忙しい三週間であった。

 キャセイ航空で香港からの11時間の飛行を終えてオークランドに着くと、あたり一帯は蝉時雨であった。なんという季節のギャップ! 昨日までは湯たんぽを入れて寝ていたのに!

 自動車輸入の手続きのため、空港近くのLCLという会社に寄って書類手続きを済ます。

 ジョーさん宅で上村さんと吉沢さんとで夕食をいただく。にぎやかな晩餐であった。

2/26 (SAT)

 朝は片づけをして、明日、進学先のワイカト大学のあるハミルトンにいく支度をする。そのあと、ジョーさんが古本屋へ行くと言ったのでついていった。ユージン・スミスの写真集と猟犬の写真集を買う。しめて22.5ドル。約1500円。

 午後、ジェレミーさん夫妻と孫のルーシーちゃんが来た。テレビでアメリカズカップを観戦する。

 昼寝した後でダウンタウンの土産物屋へ行き、ダイアンおばさんと久しぶりに会って歓談する。

 夜はチキンカレーにて楽しい晩餐。明日はハミルトンだ。

2/27 (SUN)

 今日は荷造りをして朝九時にジョーさんの車で家を出た。ハミルトンに着いたのはちょうどお昼頃。臨時滞在場所のモーテルに荷物を運び込んでから、さらに20分ほどドライブしてケンブリッジに住むジョーさんの親友であるキャロルさんとボブさんの家を訪問する。

 夕方モーテルに戻り、片づけなどしてシャワーを浴びるとどっと疲れが出て一眠り。

 買ってきたハンバーガーで夕食とする。冷えたポテトが感動的においしくない。(笑) なんとなく孤独な夜である。ぐぐ。

2/28 (MON)

 あーっ! 盛りだくさんの一日であった。大学生活の初日!

 朝は6時半に起きて支度をして大学へ。モーテルからは歩いて10分なので楽である。しかし朝食を食べていないのでなんとなく不安。めざすオランガホールに行ってみるとまだ誰もいないのでガラーンとしている。しばらくするとみんなが集まり始めた。

 壁に貼られた名簿では、日本人の名前は数人。交換学生なのか、アメリカ及び中国からの留学生が多い。

 NZの先住民族:マオリ族の様式で催される歓迎式典の準備、歌の練習などをしてから、構内にあるマオリ族の伝統的な教会・集会所であるマラエと呼ばれる建物に移動する。昔はマオリ族の部落を訪れるときには季節の野菜とか魚を贈り物にしたそうなのだが、現在では教会風にいくらかの献金をするようである。寄付の封筒が回ってきたので2ドル金貨を入れたとたんに、それまでお話をしていたモリソンさんが

「ではこれから教会へ移動します」

 と言ったので、しかたなく献金の封筒を持って彼女のところへ行くと、彼女はめざとく私の名札を見て

「あら、日本からの学生さんね。ちょうどいいわ。歓迎式典のあいさつを御願いしますね!」

 と言われた。なにがなんだかわからぬままに、日本語と英語とで簡単な感謝の意を表すあいさつをするように要請されてしまった。教会へ徒歩で移動する間、私達のグループリーダーのハワード君が、どんな風にあいさつしたらいいかを簡単に教えてくれたので助かった。しかし、英語のあいさつはなんとか思い浮かんだものの、すでに英語モードになってしまっているアタマで日本語のあいさつを考えるのは難しい作業であった。

 いよいよ式典が始まり、関係者20数名と留学生200人あまりが参列したマラエの前で、おごそかなあいさつと歌の交換が行われた。いよいよ私の番になって、

「今日、私達を盛大な式典で迎えて下さって大変ありがとうございます。ここニュージーランドのワイカト大学で学べることをとても光栄、そして幸せに思います」

 などとウロウロの言葉であいさつを行ったものの、数行分のあいさつを忘れてしまった。(笑) 入学時はともかく、卒業時に首席であいさつできるぐらいになりたいものである。

 もうひとりのあいさつは、パプア・ニューギニアから来たスティーブ君が、おごそかに締めてくれたのでだいぶ格好が付いた。やれやれ。彼はかなり長く、複雑ないいまわしであいさつしたので感心した。

 一通り式典が終わると、マオリ式の歓迎のあいさつである、おでこと鼻先を二回ずつくっつけるしぐさを、すべての職員と留学生とで交換した。なかなかユーモラスな光景であった。

 マラエの背後にある集会室でランチパーティーを楽しんだ後、午後は講義室で先輩留学生から簡単なゲームを交えた交流会が催された。また、地元の保険会社、学校の保健室の先生、銀行、地元派出所のお巡りさん、図書館の司書の方、などからそれぞれの内容について説明が行われた。

 一通りのガイダンスの後、アコモデーションサービス(アパート、ホームステイ、共同アパートなどの斡旋を行う大学の係)に行き、ホームステイの受け入れ先リストを入手し、電話で問い合わせる。大学とは反対側になるのだが、旦那さんはミュージシャン、奥さんは地元高校の日本語教師というグラント・ヘザー夫妻の家が日本人学生を希望しているそうなので、電話をして部屋を見せてもらいに行く。少し遠いが夫妻の人柄に安心してここにホームステイさせてもらうことにした。夫妻は昨年福井方面を旅行したそうで、いろいろ写真も見せていただいた。明日再度確認の電話を入れて、引っ越しの日取りを決めることにする。やれやれ。家なき子の生活もあと数日である。

 信じられないことだが、市街と大学を結ぶバスは一日合計で10本あまりしかなく、夕方7時以降はバスが無いのである。泣く泣く2日連ちゃんでタクシー帰宅!をする。しかし日本円で400円程度であった。根性があれば歩いても帰れた距離であるが、いかんせん疲れ果てていた。

 モーテルに帰り、シャワーを浴びてテイクアウトのシーフードサンドイッチの夕食をとる。

 一息ついてから、オークランド釣りクラブの会報に出ていたバート・ロビンソン氏によるハミルトン近郊のフライフィッシング情報を読む。すべて英文読解力の向上のためである。 出てきた地名、河川、湖沼の名称にアンダーラインを引き、購入したワイカト地方の地図と見比べる。すべて地理的感覚の向上のタメである。
 初夏にはセミ、真夏以降はミズスマシを模したフライが効くようである。生物学的知識も習得できるのであった。(笑)

 オークランドの語学学校のクレイグ先生は、ハミルトンはまったくもって退屈な町なので、あそこに2年住むのは大変だよ と教えてくれたが、一年中鱒の釣れる川と湖があるこの地方なら、全然大丈夫であろう。むふふ。

 先日、香港経由でニュージーランドへ戻った際に、オークランド空港の税関職員が、

「渡航の目的は留学です」

 と答えた私が担いでいる重たそうなロッドケースを、しばらく怪訝そうに見ていたのが思い出された。(^_^;)

2/29 (TUE)

 入学手続き、選択科目の選定と申請、授業料の払い込み。学生証の作成で一日が終わった。環境科学科のブレンダン・ヒックス博士にはいろいろとお世話になった。また、おなじ研究室に、99年のNZフライフィッシング選手権で優勝した地元のルネ・バッツ君がいると聞いて驚く。博士もキングサーモンのTシャツを着ていたし、なかなか楽しみである。(笑)

 しかし、今年度はヒックス博士の助言により、大学院の科目に加え、学部の科目も1つ取ることになったので、尋常でない忙しさになりそうである。

 夜は寮のホールで留学生一同の歓迎パーティーが行われた。各国の留学生が出し物をするのだが、これが下手なテレビバラエティ番組よりは格段に面白かった。各国の学生が民族衣装を着るとだれもみな、たくましく、美しく見えるのであった。また実際に美しい人ばかりであった。

 日本人チームは、私と、もう一人の日本人学生のハルミ嬢とで、剣道の型を披露した。

 私が日本のテレビのプロデューサーならここの大学の新学期を克明に記録したドキュメンタリーを創るね。


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