釣行日誌 NZ編 「5000マイルを越えて」
ワンキャスト、ワンフィッシュ
1997/01/16(THU)-6
最初の1尾が定位していた場所から5mほど上流に魚影が見える。今度のやつはそれほど激しく動いてはいない。
キャスト。一投目でニンフが鱒の目前1.5mに落ち、ひと呼吸遅れて魚体が身を震わせる。
「ヒット!ワンキャスト、ワンフィッシュ!!」
「ビューティフルキャスティング!」
ブリントのほめ言葉を聞きつつラインの弛みを巻き取り出すと、なんと! 足下の石にラインが絡まってしまった。ゲゲッ。いったん下流に向かった鱒は、こんどは上流へと突進する。駆け寄ったブリントがラインの絡まりを外してくれた。
リールでのやりとりが始まり、ゆっくりとした気分で引きを楽しむ。この鱒はそれほど激しくファイトはしないが、その背中は水の色と同じ青色に輝いている。青いブラウントラウトである。ヤマメと同じく、棲みかの石の色や水の色によって体色が変わるらしい。落ちついて岸に寄せ、ブリントが丁寧にランディングする。
「グレートキャスト!」
「ありがとう!今度はやったぜ!」
計ると、60cm、3kgである。するとさっきの大物は?70cmオーバーか?
そのブラウントラウトはネットに入れるとすぐに背中の青色が消え、普通の褐色へと戻ってしまった。水中写真を撮り、流れに放つ。しかし、いささか疲れたのか、そのままじっと川底に横たわっている。ここぞとばかりにもう3枚、水中で写す。そこでようやくよろよろと泳ぎだしていった。
この魚ともかなり長い間ファイトをしたように思えたが、今になって写真に写っている時刻を見ると、ストライクからランディングまで、わずか3分あまりしか時間が経過していなかった。
「おめでとう!おまえはいい釣り師だ!」
「ありがとう、ほんとにありがとう!」
先ほどの鱒を逃した虚脱感が大きな満足感に変わってゆく。
「今の2尾の鱒はつがいですかね?」
「そうだな、多分そうだろう」
「つがいの鱒の片方を掛けると、もう1尾がその後を追って足下までついて来るときがありますよ」
「ああ、私もそういうことに出くわしたことがあるよ」
などと話をしつつネットの滴をはらい、青い流れを後にする。
昼過ぎになり、一面の広い荒瀬の流れ込みを釣っていると、ブリントが昼食の支度を始めた。立木の陰でお湯を湧かしている。
緩やかな流れ込みが右から左へと落ち込み、流心の早い流れを挟んで向こう側に「お約束」のポイントが広がっている。しかし、いくら踏ん張ってキャストをしてもニンフが着水すると同時に手元のラインが流れに引かれ、すぐにフライにドラッグがかかってしまう。
「これではアカン」
と我慢しつつキャストを繰り返していると、ブリントが、昼飯にしようと言った。今日のランチはなんと、スパゲティである。鮭の缶詰もついている。さらに、パックの粉末とビッグリバーの水で作ったオレンジジュースもあるではないか。大いに感激してスパゲティに駆け寄る。ニュージーランドでは大都市にしか売っていないと言うキッコーマンのミニパック醤油まである。ブリントが以前ガイドした日本人は、昼にインスタントラーメンを作ったところ、それが嫌いで食べられなかったのでとても困ったとのこと。今日のスパゲティは本式に麺を茹で上げてあった。感謝、感謝の一言である。
ブリントはすでにランチを済ましていたらしく、
「ちょっとこのロッド、振ってみてもいいかい?」
と聞くので、どうぞどうぞと答える。私の9ft、6番ロッドを手にすると、彼は膝まで川に立ち込み、向こう側のお約束ポイントにキャストを始めた。すると、その瞬間からロッドには生命が吹き込まれて躍動を始め、ラインは彼の意志を具象化してリーダーに伝え、私がどうしても届かなかった流れ込みの白泡の中へといともたやすくニンフを打ち込んでゆく。ドラッグの原因となる手前の早い流れは小刻みなメンディングでなんなくクリアしてしまう。
やさしい妻と三人の息子を持ち、温厚で気配り細やかな49歳の紳士は、竿を手にしたとたんに鬼手仏心の魔弾の射手と化すのである。
「ここは私の好きなポイントでね。こうして投げるとかなり長くドラッグフリーで自然にフライを流せるんだよ」
「これはかなわんわ.....」
フライフィッシングの達人こそは、鱒釣りにおける最強の釣り人といえる。エサ釣りの必然性と合理性、そしてルアー釣りの遠投・探査能力を有し、季節を問わず水面から水中までのすべてをカバーしてしまうのである。
「いやぁ、いいロッドだ。よく飛ぶよ。それとこのリールは私も使っているが良いリールだよ」
彼の手を離れて流木の幹に置かれた私のオービスとハーディは、主人を選べぬわが身の不幸を嘆いているように見える。許せ....いつかは私も....。
ちなみにブリントに今までで一番多く魚を釣ったときはどれぐらいだったのかを聞いてみた。すると彼は、しばらく考えてから言った。
「うーん、そうだなあ。生涯では1日に90尾が最高かな。この川だと1日で48尾だったような気がする」
池のへら鮒とか湖のワカサギならともかく、この川であの大きさの鱒を相手にして日に48尾である。どういう技術とどういう体力を持っているのだこの人は?