釣行日誌 NZ編 「その後で」
待合室、そして峠
1999/12/14(TUE)-1
クライストチャーチ国際空港から乗ったシャトルバスを降り、釣り具の詰まった大きなバックパックと、小さいながらもブリントさん一家への土産物で重くなったデイパックを抱え、よろよろと観光案内所の待合室に転がり込んだのは午後1時過ぎであった。
エイボン川に近いインフォメーションセンターは、お洒落な服を着た年配のご夫婦や、長旅のくたびれをまとった若者であふれている。今朝の飛行機の機内ではだれとも話をしなかったので、いささか口の動きがぎこちないのだが、がんばって案内所のおじさんに峠越えのバスの出発時刻を確認する。ここで荷物を預かってくれるとありがたいのだが、防犯とスペース上の問題で、お預かりすることはできませんという張り紙がある。
やれやれ。と、再び荷物を担ぎ直して昼ご飯に出かける。ホームステイ先のハーマン夫人の息子さんから借りたバックパックは懐かしのアルミ・アウターフレームタイプであり、おそらく20年ほど昔の登山用具である。くくりつけたキルウェルの4ピースロッドのケースは真新しいのだが、この歴史あるバックパックは、私を少しだけ「くろうと」っぽく見せてくれるのでありがたかった。
川沿いのオックスフォードテラス通りには何軒もの洒落たパブ、レストラン、カフェが続いている。昨年訪れたカフェ・コヨーテに行きたかったのだが、ちょっと遠いのであきらめて、近くのレストランに入り、「サーモンのステーキ日本風」を注文する。味醂、山葵、漬け物などはなかなかおいしいが、やはり、まったりとしながらも腰の砕けた養殖の鮭ならではの身の柔らかさにうなずかされた。
おなかがクチくなるとなぜか疲れがどっと出てきて、もうエイボン川の水面に鱒の影を追求する気力も失せて、待合室に戻りベンチでぼーぜんと時間をつぶすことにする。
と、同じようにシャトルバスから降りた一人の少女が膨大な荷物と共に待合室になだれ込んできた。特大のボストンバッグ、土産物屋の紙袋2ヶ、デイパック、しぼみかけたビーチボール、そしてギターである。親切なニュージーランドのシャトルバスの運転手の助けを借りても一回ではバスのカーゴから運びきれずに彼女は往復してこれらの荷物を運び込んだのである。
「ハーイ!」
「こんちは......。 これみんな君の荷物?」
「そうよ。なんか変?」
「スゴイねぇ.......」
彼女は北島のタウランガに近いとある村から夏休みで旅行に来ており、クライストチャーチの近くの友人を訪ねるとのこと。
「君、ギター弾くの?」
「ぜーんぜん。あなたは?」
「ぜーんぜん。あはは」
などと、褐色の肌の、眼のくりくりと愛らしい彼女と他愛のない会話をしていると、
「あっ、電子メール打たなきゃ!」
と、弾けたように立ち上がった彼女は案内の女性にインターネットカフェの場所と、荷物を預かってくれるかどうかを訊ねている。
「ちぇっ、預かってくんないんだって。 あっそうだ、あなたいつまでここにいるの? 私の荷物ちょっと見ててくれる? 10分ぐらいで戻るから!」
いいよ。と答える前に彼女は大聖堂の通りに姿を消し、私は待合室のベンチの半分くらいを占領している荷物と、弾けないのになぜか持ち歩いている彼女のギターを訝しがりつつもなんとかひとまとまりにしてから昼寝に沈んだ。
目が覚めると彼女の姿はなく、件の荷物はすべてちゃっかりベンチの下に押し込まれていた。
「いやはや.......」
買い物か、食事にでも出かけたらしい。
快晴ではあるが風の強い街角にアルパインコーチのシャトルバスがやってきた。トヨタの九人乗りのバンに荷物専用のカーゴを牽引している。昨年乗ったマイクロバスよりは小さいが、車自体は新しい。運転手はまだ若い女性であり、サングラスが凛々しい。
乗客は、背の高い白人の若者、助手席に乗った小さな女の子、北欧系の若い女性、キウィ(NZ人の愛称)の高校生ぐらいの女の子二人、スケボーを抱えた若者、そして、堂々とした体躯のおばさんが一人。どうやら地元の人も足としてこのバスを使うことがあるらしい。
定刻の2時45分に観光案内所の前を出発したバスは、ステートハイウェイ73号を北西へと進んで行く。南島西海岸のグレイマウス/ホキティカとクライストチャーチとを約4時間ほどで結ぶアルパインコーチシャトルは、いくつかある同路線のバス会社の内の一つであり、料金はクライストチャーチ・ホキティカ間が35ドル(約2000円)である。
日本人土木技術者の感覚としてはお世辞にも「よい道路」とは言えない73号ではあるが、これで3回目であることと、今日の運転手さんは落ち着いたドライブをするので、初めてこの道を通ったときのような緊張感は無い。渓谷の眺望が雄大なポーターズパス、石灰岩の奇岩が連なり、古城を思わせる幻想的なシルエットが一度見たら忘れられないキャッスルヒルなどを通り過ぎたバスはいくつもの湖沿いを走る。
このあたりの湖はいずれも小さな湖であるが、背後に聳える峰々、湖岸沿いの灌木の緑、丘陵の中に広がる穏やかな水面がとても心惹かれる風景を展開している。釣り人ならずとも、しばし車を止めたくなる湖である。釣り人である私はこれらの水面に並々ならぬ興味を抱いているのだが、シャトルバスの旅ではちょっと車を止めてロッドを継ぐわけにはいかないのが悲しい。
というのもこれらの湖には、1906年の昔に当時の政府観光局の要請で、北米から移入されたマッキノートラウト(レイクトラウト)が放流されており、1969年時点で数尾の生息が確認されているのである。マッキノートラウトは他の水系にも放たれたのだが、環境が合わず、その試みは不成功に終わったようである。
冷水を好むその鱒は、この季節なら湖のかなり深いところにいるはずだから、どんな方法で臨めば釣れるだろうか? 今日は風が強いからキャスティングに苦労するな.....などと考えている間にバスは雄大なワイマカリリ川の上流部を過ぎてビーレイ渓谷沿いにあるアーサーズパスの村に着いた。
アーサーズパス峠は標高900mほどにあり、ステートハイウェイ7号のルイスパス、6号のハーストパスとならび、NZ南島の東海岸と西海岸とを結ぶ交通の要所である。数軒のカフェを中心に観光案内所、トランツアルパイン鉄道の駅、レストラン、モテル、ポリスステーションなどがこじんまりとまとまっている。周辺は国立公園に指定されているので、トレッキング(山歩き)を楽しむ人も多く訪れている。
峠越え三回目にして初めて快晴に恵まれ、駅のある渓谷からいきなり1000mほども立ち上がるそれぞれの山頂の連なりに冠雪が眩しい。
いつもの小さなカフェでジュースとクッキーを食べたあと、再びバスが走り出す。今回のお楽しみは、新設された73号の高架橋を通ることである。オークランドの新聞NZヘラルドにも大きく写真の載った新しい高架橋は峠越えの旧道のもっとも険しい箇所を大きくショートカットし、通行がかなり改善されたそうである。
うんうんとエンジンを唸らせて峠を上り詰めたバスが下りだしたと思ったとたん、あれれと思う間もなく新しい橋を渡り終えてしまった。拍子抜けである。橋梁構造の写真を撮りたかったのだがこれもバス旅行者の悲しいところ、まぁ今度は車でゆっくり訪れるとしよう。湖にひっそりと生き残っているかもしれないマッキノートラウト釣りも含めて。