釣行日誌 NZ編 「その後で」
地球の果て
1999/12/14(TUE)-2
中央山脈を抜け出たバスはブルナー湖畔の町モアナを通り過ぎる。Moanaとはニュージーランドの先住民族であるマオリ族の言葉で「大きな湖」を意味する。その名の通りウェストランド地方では大きな方の部類に入る美しい湖である。この湖は鱒釣りで有名であり、「ニュージーランドの西海岸で最も多くの鱒を育んでいる」として知られている。湖の直径はおよそ8kmで、ここから流れ出すアーノルドリバーは下流でグレイリバーに合流している。湖畔にあるレイクブルナーロッジという老舗のロッジは、アメリカの雑誌「フライフィッシャーマン」にも広告を出しているほどである。
8ヶ月間のニュージーランド暮らしで、牧場と無数の羊や牛が織りなす風景にも免疫ができたのか、牧草の丘陵が広がるステートハイウェイ7号沿いも、冷静な面もちでバスに揺られながらグレイリバーを見下ろす。
グレイリバーははるかに遠いルイスパス峠のそばのクリスタベル湖に端を発し、120kmの流程を流れた後にグレイマウスの町でタズマン海に注ぐ大河川である。いくつもの支流にはどれも見事な鱒たちが生息している。
今日のグレイリバーは、名前に反してコーヒーのような濃い茶色の水が蕩々と流れている。上流部の原生林から樹木の成分が流出してこのような茶色の水になるのだと聞いたことがある。
グレイマウスのインフォメーションセンター前に午後7時ちょうどに着いたバスからはほとんどの乗客が降りた。隣席の北欧系の彼女は、待っていた髭の男性としっかり、というかがっしりと抱擁し、熱いキスを交わしている。助手席に座っていた女の子は、最初ドライバーの女性の娘さんかと思っていたのだが、買い物袋を抱えたお母さんが迎えに来ていた。うーん、いろいろな人生が小さなバスに詰め込まれていたようである。
ここで運転手さんが初老の品の良いおじさんに交代し、バスはタズマン海沿いの展望の良い6号沿いをひた走る。日暮れが近いにも関わらず、はるか頭上に開いたオゾンホールの見えない大穴から紫外線が急襲しているのか、まことに日差しが強い。が、風はひんやりと冷たく、快適な温度を調節するのが難しい。
国道と鉄道とが狭い路面/線路とを共有している旧い橋梁、海岸から急に切り立つ台地、食肉用に放牧されているシカの群れ、橋桁沿いに見える岩石を並べた河岸の水制工群などを眺めつつ、どうしていつまでもこの悪いカーブを改良しないのだ?と思える無体な急カーブを過ぎると目指すホキティカはもうすぐなのであった。
南島西海岸、ウェストランド地方ではグレイマウスに続く大きな町であるホキティカは、私の好きな町である。青く美しいけれど波の激しいタズマン海、朝日そして夕暮れに輝くサザンアルプスの峰々、ひときわ白く気高く聳える最高峰のマウントクックなど、あまり日本の観光客の訪れる町ではないが、独特の魅力がある。
マオリ語地名辞典で調べてみると、ホキティカという語の意味は
「そこまで行ったらすぐに帰って来い」
ということだそうである。また、その昔、ビショップ司教という人はこの地名の意味を、
マオリの人々がその場所を「地球の果て」と考えているように、“そこに着いたら引き返すこと”
と記している。
ところが私の目的地はこの町に住む画家、ブリント・トロレー氏の家であり、明後日からは「地球の果て」をさらに越えて南に向かい、いくつもの氷河を越えてブラウントラウトの棲む原生林の湖を目指すのであるからして、ここで引き返すわけにはいかないのであった。
ドライバーのおじさんは、ホキティカの町並みが見えたあたりで振り返り、
「インフォメーションセンターか、トラベルセンターか、どっちに行くんだい?」
と訊いてきた。うーん、よくわからんがまぁトラベルセンターの方が大きそうなので、そちらに車を回してもらう。
車が着いたときには午後7時半を過ぎており、予想よりかなり小さいトラベルセンターはすでに閉まっていた。まぁ、とりあえず荷物を降ろして電話をかけようと思っていると、
「ハロー! ゴゥ! こっちだこっちだ!」
と、ブリントさんと息子さんのディーン君がにこにこと歩み寄ってきた。一年ぶりの再会に、私の顔もくしゃっと笑った。