父の釣り口伝
アメノウオ一代 その4 テグス作り、ハリ作り、そして遠征
ほーいでお前、こんだぁテグスがねえだい。それで例の白髪太郎(しらがたろう)だい。あれがなあ不思議となあ、今の戦橋の一番向こうの家、あれ堀さんちゅうだけど、あそこの向こうの下に製板があったの覚えておるか?そこの背戸にこんな太い栗の木が二本あるだい。それへ毎年付くだ、その白髪太郎っていう虫が。
ほいでみんな気持ち悪いだすべったの言っとるだが、こっちはよしきた!っちゅうわけで採りに行ってよう、進や牧を連れて行ってみんなして採ってよう、そいつを俺がピーンと伸ばす、そいつを進が酢の中にふてる、そうやっちゃあテグス作ってよう、どうだろう銭持って買いに行ってテグスがこのへんで店に売っとるげなっちゅったのはどうだほんに昭和三十年近くじゃなかったのかなぁ。無いだもんで、戦争負けたいきおいでそんなテグスなんて作っとる間は無いだもんでだれもなぁ。ほいでも釣れたよ。
ほいでハリはなあ、いいことに新店っちゅってなあ、あのヨリチカの森山の酒屋の方からけちな沢が流れてくるら、あの沢がいよいよ川へ入るところに明神の方へ向いて家が一軒あるじゃないか、あれがおじいちゃんのおっかさんの在所だ。今つぶれちゃったけど。
そこに釣り道具商っておってなあ。ハリがとってあるっちゅうわけだ。それを分けてもらってきてよう、そいでその雑魚釣りハリのなあアゴをヤスリですっちゃうだい。
そうこうしておるうちになあ、俺アユ釣りハリが欲しいと言っとったらようさっき言った古戸の幸一兄ィが持っておってなあ、十本ばかしくれてなぁ、とにかく貴重品だっただもんだい、ハリが。さーあそれから方々へ行くだ。
ほいで田口が遠出をした最初だったなあ。
--田口のどのへんに行っただん?
竹下のおじさんの前へ行っただ。おばあちゃんがよう、何か困ったことがあるといかんで喜兵衛の家の前の川へ行けっちゅったもんで。それから寄りゃあせなんだがなぁ、あああれがおじさんの家だわい、なんと思って。あの川も今みたいに堰堤は無いしさ、あれ奥の方へ行くと落差がこうだーだーあってなあ、良い川だったよう。
それからまあ順に順に方々へ行くようになって。こっちの方はなんだなあ、川上、浦川の奥の出馬の辺の沢から秋葉さん行く方の西戸っていう所から水窪のほう入っていくと小さな沢が何本かあるがそこら、それから水窪。水窪のダムの方、あっち。それからこんだあこっちの方は豊根、もちろん。
それから豊根からかわって売木。それからこんだあこっち来て根羽、平谷の川は行かなんだなぁ。平谷へ行かんかわりにゃああれを奥へ行った方へ行ったよ。浪合の方へは。とにかく俺はオートバイで飯田から妻篭の方へ抜けてくとこにあららぎ川とかいうのがあるがあんな方まで行っただもんで。
--清内路の方か?
おう清内路へ入って。ずーっと。どういうわけかあの平谷の川には憲と通るまで行かなんだよ。あの平谷の村の近所が川が小さいもんで行く気がせなんだのかなぁ。
ほいでこっちはねぇ、もちろん田嶺あのへん一帯、それから名倉、稲武、稲武のこっちの岐阜へ入って行った方の上矢作の方、上矢作から奥へは行かなんだなあ。
--あそこまでオートバイでいったぁ?
行ったよう。ボトボトボトボトとあの舗装の無ぇ道をお前。おじいちゃん偉かったよ、あんなして俺が遊んどっても怒らなんだで。(笑)
--その時の竿はまだあるの?
あの竿はだれかが持って行ったよ。進だったか牧だったかだれかが。
--ほいでもお母ちゃんもらってからだら。
もらう前だよ。もらってからそんなして遊んどったらお母ちゃんに怒られちゃうわいいくらお母ちゃん人がいいったって。(笑)
--もらう前か。
いや、もらってからも行くは行ったよ。だけどそんな毎日毎日やっちゃぁおれんわいなぁ。それこそかかさや子供が干上がっちゃう。
あぁ俺がちょっと肺病やってなぁ。軽かったけど。ほいだもんで親父もちょっと遊ばかいとれ(遊ばせておけ)ってなもんだったかと思うだい。
--肺病やったのはいくつぐらいの時?
そうだなあ二十一から二十二ぐらいまでの間。肋膜炎ちゅうことになっちゃあおったがどうも結核らしかったなあ。関本先生(伊藤家のホームドクター、名医であった)が治してくれただが。その時分はもうとにかくいつも行ったよ。
--なるほど。