父の釣り口伝
アメノウオ一代 その5 名古屋からのミミズの移植
とにかくねぇ、ポンスケ(釣りキチ)一家であることはまちがいないよ。名古屋から疎開で東栄町に越してくるに際してだよ、なあ、俺と進と死んだ勝と三人でさあ、あのミミズをミミズばっかり両手に一杯も掘って来ただもんで。
--シマミミズをかん?
おお、あっちへ行けばおらんだろうっちゅうわけで。ほいで古戸の堆肥場に入れてさ。ほいで俺言うだい、ここらへんのシマミミズの元祖は井戸道(伊藤家の屋号)だぞって言うだい。
それをまず古戸へ持って行ってなあ。うちに来たぶんには堆肥ねえだもんで。古戸へまず放して。古戸は馬飼っておったから堆肥ちゃんとある。ここらへんにゃああのシマミミズなんちゅうものおらなんだもんで。
--ふーん。
だいたい川の魚釣るにミミズで釣るっちゅうことここら辺の人は知らなんだもん。
--エモ(川虫、クロカワムシのこと)ばっかか?
エモばっかで、うん。ほーだよ。
--それでお父ちゃんは今もミミズでアメを釣るわけね。
おう。
--そのオートバイで飛び回っておった頃はミミズをどこで掘って行ったの。
うちで掘っただいな。うちの前畑の堆肥場から、当時は不衛生なもんだ。お勝手の水がそこへ流れてどぶみたいにびちゃびちゃしとるわけだ。それへ放したミミズが増えておってよ。お勝手の裏掘ればいくらでもおるわけ。で世の中進んできて側溝ができたり消毒をするようになってけっこう(とうとう)おらんようになっちゃった。
--俺が子供のころはさあ、上屋の鳥小屋の下掘るとおったけどねえ。
おうそうそうそう、とにかく井戸道から増えていったもんだだ。小僧ンとうもらいに来ちゃあよう、うちの堆肥場に置きましょうってなことで増えていったもんだよ。ここらへんじゃあそんなミミズ、どこのどういうミミズだ?ってなわけだったもんで。そいだもんでここら辺の人はあれを名古屋ミミズって言うぞ。
--ふーん、なるほどねぇ。
そいだもんで俺また竿を一本作ってやろうと思って。どうだ、それ、もう一本継げばてんからの竿になりゃへんか?
--てんからにゃあちょっと固いなぁ。餌釣りには絶好だけど。
絶好だよ。クッと合わせりゃそんなものグイッと魚を引き上げちゃう。こないだなにがあんなところに上がっとるかしらんと思って見たら、やいやいこれは叔父貴と探しに行って買った穂先だわいと思って。これなあ、コイ釣り竿の替え穂っちゅうわけで売っとっただ。叔父貴が延べ竿の短いのはないかいって言ったら無いちゅうもんで、この息子がそういうわけで竿を作るって言っとるだがそんなものは無いかって言ったらちいっとこわい(固い)かもしれんがコイ釣竿の替え穂ならあるよって言うもんで、それで買ってきただい。
これがいくらだったいなあ、なんしょ銭単位だったよ。五十銭まではしなかったと思うがなぁ。戦後、昭和二十二から二十三年頃の話だもん。
--銭という金はいつまで使われておったの?
昭和二十五年じゃないかな、二十五年か二十六年だ。俺が今の東三信用組合に出とる時だで。一円以下の金を、使えなくなるからまとめて金融機関へ持ってけ、と。ほうしたら一円に替えてくれるっちゅってなぁ。二十五、六年のはずだよ。俺が当時の八楽信用組合って言っただが、そこに出とる時だで。
--信用組合に何年ほど行ったの?
丸三年ぐらい行ったかなぁ?