父の釣り口伝
アメノウオ一代 その6 木曽の森林鉄道でおじいちゃんとアメ釣りに
--そのう、木曽へ森林鉄道で行ったりしたのはいつ頃の話なの?
それはねぇ、俺がなあ、二年生頃からアメ釣ることを覚えて、五年生ン時に大東亜戦争が始まっただでなあ。四年生、五年生の二年間ぐらいだよ。もうそれからは魚釣りなんちゅう悠長なものはなんだけしからん!ってな社会の空気だったでよ。だから考えてみると三から五年生ぐらいン時だわ。
ほいでこないだ俺が百姓屋の田んぼの隅っこに飼ってあるコイを釣ってきて困っちゃって川で釣って来たっちゅってうそを言ったって話したらぁ、そんときに親父と同じ今の住宅公団、昔は住宅営団って言っただが、そこへ勤めておった鈴木林九という人が営林署の所長上がりよ。だから材木関係に詳しいっちゅうわけで住宅公団へ来たわけだ。
それでうちの親父はフォードが無くなって困っておったところが倉庫の在庫管理の専門家だっちゅうわけで親父も公団に入った。そこで林九さんと「やあやあ」てなことになって、その人の家が中村の配水場の近くだったもんでしょっちゅう心安くかっただがさ。それがおじさんがまだ営林署へ行っとる時だったでなあ。
その林九さんていう人はなあやっぱり魚釣りが好きだだ。津具の人でなあ。でその人はてんからの名人だったなあ。それもなあ、小さい沢へ行って短い竿でピンピンッ、キュツってこうやる人だった。それでその人の竿は竹じゃあないだに。竿は柳。それは俺なぜ知っとったかっちゅうとなあ、中っ原にあっただい、一本。死んだ長兄ィのおとっつあんがなあ、十尺ぐらいだったなあ。
--三メートルか。
うん、それをやっぱり林九さんていう人が持っておってよう。ほいでさ、親父に魚釣りに来いっていうわけだ。そうすると親父は乗り物はタダだ。それで上松まで行くと迎えに来ておって、官舎へ行って泊めてもらってよ。それから所長だもんでしょんねぇわいなぁ。明くる日係りの人に、
「こら、何時に汽車出せ!」
てなもんだいなぁ、暗いうちに。運転手と俺と親父と林九さと三人乗っておるきりだい。シュッポン、シュッポン木曽の渓谷沿いを行くわけだ。ほいでなんちゅう川だったか知らんがなあ、親父がおらはそこの河原の開けたところの危なく無い所で遊んでおれ、ちゅうわけだ。それから親父ん達は奥へ行ったわい。
--ふーん。
そうしたらたくさんアメを釣って来たぞう、親父ん達。うん。
--ほいでも、王滝から森林鉄道登って行っただで?
王滝からずーっと登って行っただよ、今の牧尾ダムの方へ。どんどんどんどん。ほいでなぁ、今から考えると、親父ん達が行ったのはなぁ、右岸側の川だったよ。
--上松から森林鉄道出ておって王滝村までずーっと入っておったの?
おーう、ずーっと三浦ダムの方まで行っておっただもんで。今でこそ廃止になっちゃったんだけど。今でも向こうに鉄道の跡の道が見えるがや。
--ふーん、その当時おじいちゃんはどんな竿でアメ釣っとったの。
おじいちゃんはやっぱりなあ、そういった継竿の、四本継なぐぐらいの竿だったがなあ。昔の竿はみな継ぎ口が長いんだよなぁ。九十センチぐらいある。それでただおじいちゃんの竿はこういう穂じゃあなくて削り穂だったなあ。
--ふーん、竹を削ってあるのかん?
うん、そういう穂だった。そいつは記憶がある。ふつう穂っていえばこういう穂ばっかだった昔は。おじいちゃんのは削り穂だったよ。それで黒ウルシじゃあなくておじいちゃん使っておったのは朱ウルシがかけてあったなあ。朱かった。で、その林九おじさんはてんから専門。親父は餌釣り。
--餌はミミズでかん?
おう、餌はミミズ。そりゃ川で川虫捕ればいいんだけど名古屋からだもんでミミズ持って行くだい。