父の釣り口伝
アユ釣りの夏に その12 馬瀬川にも行った
まぁ、総体的に行って、アユ釣りは素人が楽しむ分にはそんなに難しい釣りじゃあないと俺は思うなあ。
--あの、ガーンと当たった時が面白いって言うけどそんなに面白いかなあ?
うん。面白い。そりゃあ、簡単に言やあ倍になるんだからなあ。それとねえ、昔の話だ、今じゃそんなこたあ望むべくもないことだけど、例のガエロ股使っておる時分に、1尾掛かるわけだ、この針へ、それ釣ったっていってこうやって引いてくるうちに、あるところへ来るとそこへまたアユが付いておるら、このやろうっちゅうわけでそいつが怒って飛びついて、この股のもう一方に掛かってさあ、いっぺんに結局3尾になるわけだなあ、そんなこと俺二回あったよ今までに。
--ふーん。3尾掛かると重たいねえ。
ところが今はアユが小さいもんだい、最初の当たりが面白いって言うけどそんなこともたんとは無いげなよ。進に言わせると。
昔は、こんな25センチもあるようなアユがよう、ガツーンと当たるとほんとに竿にガクーンときた。今じゃああれ?何かおかしいぞと思うとこんな小さなアユがへろーんと上がってくる。そりゃ昔は大きかったもん。串へ刺したってほんとにこんなやつがなあ、いっぱい並んだもんだったが。
--引っかけやったって尺っていうアユが捕れただもんで。
捕れたよ。引っかけ竿のあのコワイ竿がこんなになってしなっただもんで。それから数もおったわい。剛がいくつぐらいだったか知らんが今の千代姫の向こうの、月の川を金座淵の方にかけて引っかけやったの覚えがないかなあ。あん時なんかとにかく千六百何尾捕っただぞ、お前。
--ふーん。
一口に千六百って言うけど、なあ。
--あのさあ、お父ちゃんがアユの入れ物作ったらぁ、1メートル立方ぐらいの、あの入れ物に半分くらい捕ったねえ。
今なんか、これっぱかのタライぐらいのアユの入れ物持ってけば間に合っちゃうだもんで。(笑)
そりゃほんとそうだよ。俺が金網でなあ作ってまんだ二階にあるが。ほんとの話が、あれへうじゃうじゃ捕っただもんで。ほいでここらへん持ってきてそれ前へもやれ、岡森へもやれなんちゅってみんなに配っただもんで。
--そいじゃあアユ釣りでは遠出しんかっただねえ。
おう、遠出はせんけど、名古屋におるときに、おじいちゃんたちと岐阜の馬瀬川に行ったことがある。
--ほーう、おじいちゃんもアユ釣りやったの?
おう、やったやった。おじいちゃんはアユ釣り上手だったぞ。だけど、おじいちゃんはああいう人だもんで、
「放流して魚がおることわかっとるのに釣るのはどうもおれの趣味じゃないなあ。」
なんて笑っておったけどなあ、けっこう上手だったよ。
--馬瀬はその時分からアユの放流をしとったの?
天然もおったし放流もしておったよ。で、馬瀬川は水が良くて、アユがいいってゆうことであの時分から東京や関西の衆が来ておったがなあ。
で、今みたいにグラスロッドの何メートルなんてものは無いもんで、だいだいあの時分にゃあ四間だから7.2mか、四間を六本ぐらいに継いだ竿でなあ、そんな竿なんか根っこの太さがこんな湯飲みほどもあるだぞ。
それで竿四間ぐらいで糸三間ぐらいで、竿の元の方を一本抜いてさ、岸において置くか、糸で腰に結んでそうして釣ったよ。そりゃ、四間もあるこんな太い竿をこうやって起こすことなんかできんだもんで。
おじいちゃんは魚釣り好きだったしアユ釣りも上手だったよ。それだもんで古戸におるときはおれは子どもでも、毎日毎日ヒマで魚釣りばっかやっとるし、自分でも工夫してやっとるもんでそりゃ大人達も一目置いておったよ。(笑)
そりゃそうだ、あのうるさ方のとなりの幸一兄がまいったって言うもんだでそりゃみんなうーんて言うわな。(笑)
幸一兄なんて言えばそりゃ村でもなかなかのうるさ方だったもんだで。それが
「あの小僧にはかなわん。」
なんて言うだもんで。そうだわい、アメ釣りだって覚えりゃぁ毎日行くだもんでかなわんわなぁ。他の人は稼がにゃならんもんだい忙しくて、朝早く起きて行くぐらいが関の山でそんなに行けりゃへんらぁ。おら毎日やっておる。
「肇の小僧が釣ってしまう。」
なんて怒られたもんだほんとの話。