父の釣り口伝
肇の魚釣り初め その12 目の無いコイ
それと、その小川んとこで、いよいよ三本木の部落へ入るところになぁ、堀に囲まれたような家があってなぁ、その堀にフナがおるんだよ。
--その家のもんじゃないのか?
うん、それは川につながっとるからいいんだけど、あれはきっとねぇおれが思うのに、あそこら辺は昔っからちょっとした水郷地帯みたいな所だら、ほいだで稲や何か刈ったものを田舟っていって箱船みたいになった船がどこの家にもあった、それを入れて丘を引いてさ、そのためにした堀じゃないかと思うんだい。でお金持ちみたいな家でさ、家のまわりがずーっと生け垣がめぐらしてあって、橋が架かっとってなぁ、それで植木が植えてあるもんで涼しいんだ日陰になって。それでそこへ行って釣っておると、そっからおばあさんが出てきてさぁ、
「坊、どっから来た?」
「名古屋から」
「ほーう、えらい坊だなぁ」
なんて言ってよう、スイカやトマトをくれちゃぁなぁそのおばあさんが。そのおばあさんのことも忘れん。
--ふーん、そんなこともあったんだ。
あったあった。でその三本木の部落のはずれっぽに、何の木だったか覚えがないがなぁ、いまから考えると杉の木のような気もしたがひょろひょろっとしたような木が十本ばか生えとって、やっぱり木陰があるんだよ。
それで、あの時分の自転車なんか物が悪いもんだからさぁ、炎天干しに置くとなぁ空気が膨張してパンクしちゃうんだよ。だから、空気入れを持って行っておって、そこへ着くと、陰へ自転車置いておいて、空気抜くんだよ。で帰りにまたキーコキーコ入れて来るんだよ。
それでそこに、後で聞いたらさぁ、木陰でいいなんて思っておらぁ弁当食ったりなんだりしとったらよう、その三本木から娘さんがお針を習いにうちへ来ておって、だんだんしゃべっとってさぁ、おじさんあそこは火葬場だっちゅうわけだ。(笑)
「石の大きいのあったでしょう」
「おお、あったあった」
「あそこで火を焚いて亡くなった人を焼くんです」
ちゅうわけだ。
「あんなとこで弁当食ってどうならぁ、これから弁当食うならうちへよって頂戴」
てなわけでさぁ。それで心安くなって、その娘さんの家へなぁ、おれが五、六年生の時に二十二、三の娘さんだったから、おらより十二ぐらい上の人だったんだろうなぁ、でそこへ寄ってはさぁ、こっちも何かやったりもらったりして、つきあっとったけどなぁ。
そこにねぇ、おれが五年生ぐらいン時に、高等小学校卒業したぐらいの人だから十六、七の人がおって、その人がなぁ例のナマズのポカン釣りが上手でなぁ、
「おじさん、ナマズ釣ってきて生かしてあるけど、持っていかんかね?」
なんて言ってはもらって来たよ。で、そこの家にねぇどういうわけだか知らんがこんな大きななぁドングリのなる木があってなあ、それを拾っては包丁で切っては例のドングリゴマをこしらったもんだわい。ほいでおれがウナギ釣りに方々歩くようなもんでよう、親父もなかなかずくが良くて(根気が良くて)よう、あそこは釣れんかここは釣れんかってなぁ自転車で方々歩いてなぁ。おれらだけのなぁ穴場があってさ、ここが釣れにゃぁあそこ、あそこが釣れにゃぁここってようあのへん、大治村から津島の方へかけて方々歩いたよ。
ところがねェ、冬になってくると寒さも寒しだもんでなかなか親父もおれを釣れて行かんし、それから難しいんだよ釣りの技術的に。夏のフナみたいに浮子をピピーッと動かしてなんちゅうわけにはいかずに風は吹きゃぁがるわ、なぁ、引いとるのか浮子がゆれとるのかわかりゃぁへんもんだい子どもには難しいっちゅうわけでおれはあんまり冬は連れていってもらえなんだが、それでも二、三回行ったけれども。親父がある日なぁ、ばかに早く帰ってきたんだ、で、
「なんだぁ?」
って言ったら、こんなでかい六十センチぐらいのコイ釣ってきたちゅうわけだ。それで隣のおじさんも来てさぁ、
「ほーりゃまぁえらいこった伊藤さんがコイ釣ってきて!」
なんて言ってたら近所のある人がよぉ、
「伊藤さんに食いつくようなコイはどうせ目が無いだらァ」
とこう言ったわけだ。
「何言っとるだ」
なんてみんなでバカ言っとって、よくよく見たらなぁほんとに一方の目がつぶれとる。(笑)
「この、右の目のほうがつぶれとるから右の目の方から食いついただらぁ」
なんて言って近所の人が大笑いでさぁ、そいからまあ料理してさぁあのぉなんだ、飲む人は飲んだりしてよう。おばあちゃんあんな人だもんですぐ人の寄りつきがいいもんでなぁ、でとなりのおじさんが酒買ってきたりなんだりして。いろンなことがあったぜ。