父の釣り口伝
腕白たちの黄金時代 その1 ふるさとの川の雑魚釣り
--雑魚釣りはどうだったの?
うん、雑魚釣りがそりゃ、それこそガキの頃からやっとるだ。今の子ども達はああいうことをせんで大人になってからつまらんと思うよ。歌の文句じゃないけどさ、小ブナ釣りしかの川なんて思い出は無いだもんで。ほんとに。
今じゃ子どもたち見ておったって川へなんか行きゃあへんだもんで。夏にどうだ、金座淵に行って少し水浴びするぐらいで。
--その川も今では、こんな田舎の学校でもプールが出来るようになっただもんで。
うん、川じゃなくてプール行くだなんて。
--俺は、子どもの頃に月の部落の奥の方へ雑魚釣りに行ったのは良く覚えとるなあ。
(注:東栄町には、「月」という珍しい名前の集落があります。昔、父が飯田線の電車の中で、叔父と二人、月のあの家はなぁ、とか、こないだ月でなあ...という話をしていたら、隣の席の小さな子どもが、「おじさんたちは月へ行ったことがあるの?」と真顔で聞いたそうです。笑 )
おったなあ、あの頃には。今は古戸の奥の方におるわ、いわゆる雑魚(カワムツのこと)というやつが。ここらへんはいかんわ、ウグイが増えてしまって。
雑魚釣りはねえ、おれがこうやって考えてみると、やっぱり満四歳ぐらいからやったなあ、中っ原の家の前で。それがよく釣れただ。魚はなあ、カワムツと、ウグイの同類で、本で調べてみると海へ下がらないやつ、ここらへんで言うフシナっていうやつ、あれがおってなあ。
--なつかしいなあ、フシナなんて。おるのか今でも?
おるおる、ウグイに比べて鱗が細かいわ。それでなあ、おれがだんだん大きくなってきて雑魚を釣るわけだが、子ども達はみんな釣竿なんていうのは持ってはおりゃへんだい。
誰かが雑魚釣り行かまいかっていうと、おお、じゃあ鉈持って来い、鎌持って来いって言ってみんなで竹薮へ行ってどこの竹薮でもかまったことはない、また世の中大らかだからよその小僧達が来て竹取っておるなんて怒る人もない。
で、どこか川のそばの竹薮行って竹をぶち切って来てさ、適当に節を払って竿を作る。だけど、そこからテグスが無えだい。そうするとまあ、銭のあるやつが出したりみんなで出し合ったりして、今で言うと四メートル五十か、二間半、二間半のテグスがあの当時の金で三銭から四銭だわ、そりゃなかなか値が良くて高かった。だから子どもではなかなか買えないんだ。
それで銭を出し合って、その四メートル半を四・五人で買うわけよ。そうして一メートルずつに分けるわけだ。それであとの三メートルのテグスは、お母ちゃんの針箱から木綿糸を盗んでくると。それでどうにかこうにか糸を繋いで。でこんどは針なんだが、これも誰か一銭持っておらんかって言って、針を一銭買うと七、八本あるもんでそれを分け合って縛って、それからみんなでエモ(クロカワムシやカゲロウの幼虫)を捕って餌にして、ピチョーンと川へ投げればすぐに雑魚が食いつくわけだ。だけど魚の入れ物もなんにも無いだわい。それだもんで川岸に穴掘ってそれへ入れてよ、帰るときにはみんなで分けてよ、あの例の柳の枝に魚を通してぶら下げて、そんな魚釣りが最初であったな。
それからこんどはだんだん大きくなってきて、べんこうったく(しゃらくさく)なってくると、常備の竿を作るわけだ、その日に捨ててくる竿じゃなくて。ちょっと良い竹をどっかで探してきてよう、高等科の小僧、今の中学だなあ、それが炭を起こしてよう、わきゃねえだい、昔は囲炉裏に灯があるだもんでなあ、家から炭を持ち出して七輪で火を起こしてその竹を炙ってはさあ、濡れ雑巾持っておってはこうやって竹を延ばしてはなあ、これが俺の竿だって言うのを作るわけだ。
それでまた少しべんこうな奴がそれに色を塗るわけだ。何を塗ったか覚えは無いだがなあ。そうやっとるうちにこんどはまた別の小僧がおれの真似するわけだ。おれはおじいちゃんにもらった継なぎ竿を持っとるわけだ。それでその小僧がおれにその竿見せろと言う、ふーん、ようしなんて言って真似して作るんだ。
でもなかなか昔の子どもは起用だったぜ。とにかくかにかくそうやって継なぎ竿を作っただもんで。それで穂先を元竿に入れたいだが入らんらぁ、今度はどっかで八番線盗んで来てよぉ、八番線の先を石で研いで研いでとぎらかして錐にしてよう、それで竿の中突っ込んで孔を開けてなあ。そうやって雑魚を釣ったもんだ。
そうして雑魚を釣ってくると、貧しかっただなあ、とにかく囲炉裏で炙ってしまうだなぁ、串に刺して。ほいでなあ、こういうことを言うだ。春から八月までの魚は、頭を上にして串に刺せっていうんだ。登り魚って言って。それで八月から十月ぐらいまでの魚は、頭を下にして串に刺せってそういうことをよく言われたよ、理屈はどうだかこうだか知らんが。
そうして炙って五十尾なり百尾なりたまると、それをこんだあ、たまり(味噌の副産物、醤油に似た調味料)でよう、甘辛く煮付けてそれをご飯の上に載せて、熱いお茶をかけて食うだい。それが旨くてなあ。まあ昔の人の蛋白源だっただな。
それが雑魚釣りだけど、そのうちに小僧達もだんだん弁巧になってくると、魚の入れ物を欲しくなるわけだよ。そうすると今みたいにしゃれた入れ物は無いだもんで、腰篭を欲しいわけだ。で、金持ちの家の子は篭屋さんに頼んで体裁の良い魚篭を作ってもらうだが、貧乏人の子は家から篭を持って来るわけだ。その篭って言うのはお百姓さんが畑で使うやつだもんでこのぐらいあってばかでかいわけだ。それを小さな小僧がけつのアタマにぶらくって(ぶら下げて)雑魚を釣るわけだ。
それでおれは最初その篭が無くて、カンカラに網の付いたやつを持っておった。そうすると魚が生きておるっちゅうわけだ。だからみんなけなるくて(うらやましくて)さあ、でかいアカブト釣るとお前のカンカラへ入れさせてくりょぉってわけさ。(笑)なんしょアカブト釣りたいだなあ子どもは。
それでこんだあそのアカブトをさ、みんなが釣ったやつを川原へなあ集めて。おまえ、子どものやることだって言ってもそれしかやらんだもんで子どもでもええかげんのこたあやるだぞ。毎日学校から帰って来ちゃあそればっかやっとるだもんで。川岸の奧からずーっと水路を引いて来てなあ、そりゃこんな高い岸を掘るだもんで。そうして魚が登って逃げんようによう、竹を編んで立てて、そん中へみんな釣ってきたアカブトばっか入れるだ。そりゃ見事なもんだったぞ。(笑)
--真っ赤っかでか?
おう。真っ赤っか!(笑)