父の釣り口伝
アユ釣りの夏に その5 引っかけの楽しみ(1)
そうしてこんだあいよいよ秋になってくると、引っかけをやるってなわけだな。そりゃ今の通りだ。みんな集まって今日は井戸道だあしたは幸一兄ン所だっていってやるわけだけど、網もいい網はないし、引っかけも今から考えてみると道具が悪いもんだで、引っかけ針を縛るんだけど、今みたいにボンドも無けりゃあセメダインも無い、針が抜けちゃうんだよなあ、あれにはみんな困ったよ。針にコブが無いだら、よっぽどきちっと巻かにゃあ抜けちゃうだもんで。
でまあ、そうやって引っかける。でそのうちに戦争が激しくなって引っかけもあんまりやれんようになっておるうちにまあ戦争負けて、俺達もここへ疎開して来た。それから俺達がそれアユ釣りだっていうわけで中設楽の川へ行くわけだけど、まあ設楽の川の近所はあの時分でそうだなあ、今の鶺鴒橋の近所であの当時の金で17、8円しとったかなあ。
--高いなあ!
おう、高かった。なかなか買えなんだ。だけどうちじゃあカネ玉のおじさんが金持ちで買うもんで。だけどカネ玉のおじさんはあんな風で買うっきりでアユ釣りやりゃあへんもんで、俺が例えば10尾釣っちゃあ半分おじさんにやりゃあおじさん上機嫌でおるもんで、俺が専属で釣っておっただ。そうしとるうちにカネ玉のおじさんだとか岡森のおじさんだとかうちの親父だとかが当時の軍需工場の流れでよう旭木工っちゅう会社をやっとっただ。で終戦後復興せんならんちゅうわけで雨戸作ったりガラス戸作ったりしちゃあ売っとっただ。そこの会社で川買った。
で会社の慰労会で川でアユを釣って焼いて食ったり味飯を煮て食わあっていう話になったところが、どいつもこいつも釣りゃあしえんだわい、カネ玉のおじさんも岡森のおじさんもうちの親父も。そいで俺に釣れっていうわけだ。それで俺が前の日だかその前の日から行ってよう、釣っちゃあ箱入れちゃあふてとく(沈めておく)わけだ。あの時分にゃあ世の中良かったぞ、誰もそれを盗んでいく人もなけにゃあなんでもない。
でその慰労会の日に河原で焼いて食ったわけだ。そうして、俺は一方で釣っておるわけだ。そうしたら下田の柳沢なんとかっていう人が、あの人はアユ釣りが上手な人で、その旭木工の株主だった人だ、その人が誉めてくれたがなあ、この坊はどこの子どもだか知らんがまず上手だって言ってくれたが、ほんとあの時分にゃあなあ自分の川だもんでなあほんと釣れたよバタバタと。