父の釣り口伝
アユ釣りの夏に その6 引っかけの楽しみ(2)
--ところで、引っかけっていうのはこのへんだけの風習か?
いや、そうでもないねぇ。うん。ほうぼうにあるけど、四国の方じゃあなあ、ここらへんじゃあ針を四本なり、五本なりで縛って引っかけ針をつくるんだけど、針が一本なんだ。
--おれそれ漫画で読んだことある。
うん。だけど、効率悪いわなあ。
--四国のやつは難しいらしいぞ。
そりゃそうだらぁ。
--それで、竿の先にじかに針が入っておるんじゃなくて、テグスの先に針があるんだって。そうしてギュッギュッと引っ張ってアユを掛けるんだって。
ははあ、間宮君(会社時代の同僚)が言うにはなあ、一本針をここらへんみたいに竿の先通してきて掛けるそうだがなあ。で、竿が一本針を通すもんでへごい(柔らかい)らあ、だもんでへごへごしちゃってやりにくいとは言っておったがなあ。間宮君が言うには、
「それでわしが教えてもらったみたいにここの考え方みたいにしてやったらみんなたまげた」
なんて言っておったが。
それで引っかけだが、あれも要領があってなあ。引っかけのコーチ、親方が上手だか下手だかじゃあえらい違いだ。あれはねえ、急がば回れ。もう絶対になあ、網をきちっと入れてなあ、網の根っこを石でアユが逃げれんようにきちっと押さえちゃうまで余分な小僧んたちは川へ入れさせんと、そうしておいて支度が出来たらさあ入って掛けなさい、そうすればたくさん捕れるけどなあ。
ろくに網も張れていないのに川へ入るとアユにみな逃げられちゃう。アユは利口だぞ、網の隙間がこうなって開いておるとするとよう、どいつか1尾ツーッと抜けるとあとからダーッとみんな抜けちゃう。
それからねえ、五人なら五人で引っかけに入っても、それあっちへ行ったこっちへ行ったで追ってはだめだ。五人は一定の位置におればいいだ。アユの方がおどけてしまってなぁ、しまいにゃあなあ、網のそばから石のそばをぐるぐるぐるぐる回り出す。そうなりゃあ回ってきたやつを掛ける、次をまた掛けるっていうふうにやれる。あっちへ行ったこっちへ行ったって追うとアユがその支離滅裂に泳ぎ出すからなまんじたくさん捕れん。おかしなもんだぞ、あれは。アユを驚かさんように待っておればなあ、アユの方が恐怖心にかられて団結しちゃって固まってぐるぐると泳ぐようになると、一カ所におって次から次へと来たアユを掛けることが出来る。そのほうが早い。なあ、面白いもんだ。
でなあ、引っかけやっても上手なやりかたが二通りあるんだよ。洋(肇の次男)みたいに運動神経が発達しておって魚を追っかけ回しても掛けちゃうやり方と、おれみたいにじーっと見ておってなあ、ああ、あそこの所をああいう風に通って来るで、あの場所におれば掛けられるって言って待ちかまえるやり方と。
そういうふうで一日やっておると、洋が三十尾捕るものならおれも二十5尾は捕るというふうに、そう言う二通りがあるわけだ。
--おれはあんまり泳ぎが上手でなかったで引っかけは得意じゃなかったなあ。
おれもあんまり好きじゃなかったなあ、釣る方が好きだ。だいたい網で巻いて捕っちまうなんてあまり感心せん方だもんで。ほんとに。
--このへんから飯田のへんにかけては引っかけってやるのかなあ?
やるだろうねえ。それだって、ああいうことは広まっていくに決まっておるだもんで、ここから飯田なんてそう遠くねえから。
--あんまり聞かんじゃん。このへんじゃあお盆の風物詩というか、あれがなけにゃあお盆が来んような気がするだけど。
聞かん。逆に言わせると川が小さいってことだよ。うん。そんな大きな川じゃあ絶対できやせんもん。引っかけもって川へ入ったところが逃げちゃうだもんでめったなことには掛かりゃあせん。
豊川のへんでもやっちゃあおったよ昔から。それだけど、泳いで流れを下りながらピッと掛けるぐらいのもんで。ここみたいに網を立てるなんて絶対出来やせんもんで、あの新城の弁天橋の近所でもようやっておったけどさ。そのかわりアユが大きいわなあ。だもんで二、三時間やって十尾も捕って晩飯のおかずだとそういうわけさ。はい大野まで行くと川が深くて網が立たんもんなあ。
だから横山君たちは上手だよ、網の立たないところで泳いで掛けておったっていう経歴があるもんで。それで、昔は大野の頭取工は無いらあ、さらさらと川が流れておるだもんでそりゃ網なんか立ちゃしない。とにかく流れを下って掛けてはまた登って下るという繰り返しだもんで。
--体力もいるわなあ。そりゃあ上手だったなあ、横山君や赤尾さんは。昔は水中メガネなんて無かったらあ。
無いよう。
--メガネなしか?
あのガラスの箱メガネでさ。だけどあれは効率悪いはな、斜めでしか見れんで。今じゃあ水中メガネあるだもんで潜れるでいいわなあ。
--水中メガネが出てきたのっていつ頃?
そうだなあ、まあ流行りだしたのは戦後だわな。戦前にも無い訳じゃあなかったけど値段も高かったし、形も目の回りだけの水中メガネだったわい。それで箱メガネだと浅いところをこうやって首を曲げて覗かにゃあいかんもんでそりゃあ昔はえらかった(大変だった)だよ。
--今じゃあみんなウェットスーツ着て入っとるでいかんわなあ。(笑)
そうだよお、昔はおまえ、やいまんだアユがおるで引っかけやらめえかなんて若い衆言うわけだ。だけど寒いぞ、いいや火を焚けば案じゃあない(心配無い)なんて言って十一月頃やったことあるぜ。それは浦川の所でなあ、会社でやっただい。捕ったぞ寒い代わりに、アユがどだい動き鈍いだもんで。おらかなわんもんだい火を焚く係に回っておったけども横山君や赤尾さんは好きだもんでよう、サルマタひとつで飛び込むだもんでたまらんぞそりゃなぁ。あの時はよう捕ったもんだ。
--夏になるとみんなあの引っかけ針を縛ってボンドで固めてはしとったなあ。ここらへんじゃあ針五本か?
五本だな。
--あれも8号半の針なの?
いや、あれはねえ、号数で言うと15号くらいだなあ。あの竿だってそうだ、おらあんなもの買ってはしょうがねぇってもんでガキの頃から自分で作った、今でもそのへんに五、六本ころがっておるが、先の金具だけはめればまんだ使えるぞ。
--金具は金具で売っておるの?
売っておるだ。しかしおら時分にはそんなものも売りが無いもんで、竿先をきちっと糸で巻いて漆で固めるわけだよ。だからおれは器用なことは器用だったよ、何やっても道具買わずに間に合わせただもんで。
それで引っかけの糸だってそうだ昔はなあ、三味線糸でなけにゃあいかんというのがここらへんの衆の意見だっただ。そこでおれは考えただい、なにも高い金だして芸者の三味線糸なんて買って来なくてもさ、切れさえしにゃあテグスだろうが凧糸だっていいじゃねえかって。でおれはおじいちゃんが名古屋でボラを釣ったラージっていうヨリ糸があった、茶色いような三本ヨリの。それを小のぐらいの長さに切っては使ったがなあ。なんだっていいだいあんなもなあ。
--あの引っかけ竿の仕掛けは、針があって金具があって糸が通って最後が竹のコマで、輪ゴムで引っかけるようになっておったじゃん。
うん、それで昔はその輪ゴムも田舎にゃあ無いもんでなあ、どういう勘考をしたかっていうとなあ、その竹のコマを押さえるのに反対側に少し長い竹を縛ってそこに挟み込んで押さえただい。そういうふうだったよ。それだもんで引っかけの時期になると建具屋が流行っただい。箱メガネ作ってくれだのそれガラスが割れたではめてくれだの言ってなあ。今みたいに物がありゃへんだもんで。
それから網だって木綿だらあ、渋を引いちゃあ干したりなんだりするんだが破れるもんだいよう、網を直したり大変だっただ。今の網ならナイロンだもんで踏み破きでもしないかぎり破れはしないんだが。
--ふーん。俺の知っておる頃はもうナイロンの網だなあ。
おうもちろんそう。おらあのナイロンの網だって早くから福江のおじいさんが漁師だったもんで頼んで作ってもらっただよ。
それから昔はウナギがたくさんおったもんでなあ、引っかけをやりゃあもう絶対と言っていいぐらい、必ず1尾や2尾はウナギが顔を出しただがなあ。それをまた釣って捕ってはなあ。
まあいかんだい、今じゃあその魚釣りがさあ、趣味から逸脱してよう、釣り具産業になっちゃったもんで売らんかな売らんかなで宣伝も激しいし、人も多いんだけど、そりゃ食料費を浮かすにゃあ難しいか知らんけどただ楽しむ分にはアユ釣りの方がアメ釣りよりはやりやすいと思うよ。そうだよ、アユは放流してあるだしさあ、オトリは売っておるだしさあ、ちったぁベチャクチャしゃべったって川にザブザブ入ったってアユが逃げる訳じゃ無いしさあ、そりゃアメ釣りの方が難しいぞ。