父の釣り口伝
肇の魚釣り初め その16 フナの子捕り
それからねぇ、こんだあねぇ、魚釣りじゃなくて魚捕りもやったんだよ。それはなんでやるかっちゅうとねぇ、まず一番最初に覚えたのは四つ手網。おやじがねぇ四つ手網の大きなやつ持っとって、あれは何月頃やるのかなぁ、七月頃から八月頃にかけてだなあ。おおそうだ七月だ。豊国神社のお祭りが七月だったであの時分なんだよ。それで名古屋の人はなぁフナの当歳っ子のことを「はえ」ちゅうんだよ。
(注:はえ とは生えのことか?)
--ふーん、「はえ」ねえ。
それで漁師が捕って売りに来たんだよ。それで何をこしらうかっちゅうとなぁ、それを甘辛く煮付けてなぁ押し寿司。飯の上に配ってギューッと押して、それ作るんだわ。それがあのへんの名物料理だったんだ。そうしたところがなかなか手に入らなんだりするら、で親父がその、春こんなに小さな二センチぐらいのフナが生まれて、田んぼに入ってひとなって(育って)、田んぼの近所のああいう小川に群をなしとるわけだな。それを見出すと四つ手網で一網打尽に捕れるもんだい、その七月になってお祭り前になると親父が、
「捕りにいじゃ(行こう)」
って言うもんだい、捕りに行くだ。そうするとあの時分深さが一メートルぐらいの水路がいっくらでもあるもんで、十文字に。それをそーっと行って見ておると水が比較的きれいなもんだから群になって真っ黒く泳いどるのが見えるんだよ。そうすると親父がザッとその四つ手網を入れて持っとる、そうして俺がとんでって竹ン棒で追うと逆戻りですーっと逃げてくる、網ン中へ入ってつかえて戻ろうっちゅう時に親父がシャッとあげると、うまくいくといっぺんに両手に一杯も捕れるんだよ!
それで今みたいにクーラー無いもんでなんとか生かさんならんもんだい大きなバケツの中に水入れてそれを親父と二人で棒を通して担いで、またおらんか?なんてって捕って歩くんだ。そうするとそのフナを近所の人がもらってくれてお礼をくれるだよ、どうせ買わんならんて言って。
さぁそれを見ておるもんでこんだぁ子ども達だけでやるっちゅうわけだよ。進や勝を連れてさ捕りに行く。けっこうそれで上手になって四つ手網のこんなぐらいの小さめのやつを買ってもらってさ。その四つ手網屋さんちゅうのがなぁ、今でも覚えとる、名古屋のなあ名駅の裏の方の牧野町って所に網専門店があった。そこで売っておって、同じ四つ手網でも、茶色い四つ手網があっただ。それがたとえば五十銭だと、真っ白い四つ手網は、倍の一円するだ。
で、それでもなあ、どうせ買うならいいやつ買わにゃぁっていって親父がいいやつ買ってくれたもんで、そのときに親父に聞いたことがある、なぜ茶色いのは安いのかって。そうしたら、これは漁師の使った網の古で作るんだと。そして漁師は網が茶色くないと魚が逃げるんでって網を茶色に染めるんだって言ったよ。で親父はその白い網を買ってくると、柿渋を買って塗るんだよ。そうすると赤茶色になって、そうすると魚がきらわん、とかいって。それだから親父が
「渋をかけてやったで丈夫いぞ」
なんて言ってよ、それを持っては進たちを連れちゃあなぁ、七月頃になると学校夏休みになるもんだい、子ブナ捕りに行くだい。そうするとなぁ、どうかするとお前、どでかい(とても大きな)ナマズが入ったりなんかしてなぁ、よう捕りにいったぞぅ。
--当時の釣具店ちゅうのはどんなもんだったの?
そりゃぁねぇ、釣具店なんちゅうもんではないわ。今の釣具店と思えば雲泥の差だわなあ。そうとう大きな釣り道具屋でもねぇ、まずどうだぁ、店の構えが四メートル四方ぐらいか?ほいでこっちのほうに釣竿が十本か二十本並べてある。それで戸棚があってガラスケースがあってオモリだ針だ浮子だがある。でこっちの方に四つ手網を売っとってみたり、ウナギ篭があってみたり魚釣りに関係した物がある、表の土間へ出たところに延べ竿がだーっと束にして上にあげてさ、そんなもんよ。
それだから商品が少ないもの。今みたいになんだ知らんがわけのわからんもの釣り道具屋に売っとるら、ほんにあの時分には竿と糸と浮子とオモリと針と、魚を入れる入れ物と、魚を受ける網ぐらいしか無いんだもん。だから仰々しく今のあんな大きな店なんかいらんだよ。
で、俺がしょっちゅう買いに行く大鳥居の向こうの、あの通りをまあちょっと向こうの名古屋の方へ行って、楠橋の所のちょっと中村寄りにおじいさんとおばあさんでやっとるほんとに小さな小さな釣り道具屋があってそこへいっつも行った。で、親父はまっとずっと向こうの笹島のガードがあるら(注、名古屋駅の笹島のJRガード)あのガードの所に大きな釣り道具屋があったがいくら大きな釣り道具屋だっていったって知れとったよそんなもの。