父の釣り口伝
腕白たちの黄金時代 その9 河原飯とかイタチ捕りとか
それとしわい小僧(やんちゃな小僧)だったのが、長兄ぃと一緒にガキ大将やっとったお寺の坊主のせがれの仙坊っていうやつ。しわい小僧でよう、和尚さんにいっつも学校から帰ってきたら本堂掃除してお経を読めって言われとるわけだいなぁ。掃除だけはやらにゃあバレちゃうもんでやるんだがよう、お経を読むようなフリしてしばらくがなってけつかるとなぁ、おれ達が一緒に遊びに行きたいもんで本堂の外で待っておるら、本堂を覗くとなぁ、仙坊が
「やい、肇、おれの草履を向こうから持ってきてそこへ置いとけ」
って言うわけだ。しばらくなあ、ナンマイダァナンマイダァって言っておると和尚が安心して家の方に行くらぁ、するとおれが持ってきた草履はいて本堂から川や山の方へ逃げちゃうんだ。(笑)
あれも今じゃあ豊川かどっかのお寺の坊主になったって言う話だが、あれもしわかった。
それからなあ、何月何日だったか「河原飯」っていう習慣があってなあ、おれ達がここへ疎開してきた当時もやったよ。今じゃあ川の水が汚くてとても川の水じゃあご飯なんか炊けやせんだが。みんなでお前は米を持ってこい、おまえはカツオブシを持ってこい、おまえはゴボウを持ってこいなんて言い合ってなあ、簡単に言えば味ご飯を煮るだいなあ。みんなで金を出し合って、そんな風習もあったよ。
それと今度はなあ、お盆にナスや南蛮キビ(トウモロコシのこと)で馬を作るらぁ。それをお盆が過ぎると川に捨てるらぁ、それをまた拾い集めて焼いて喰うんだ。そうだわい、飴があるわけじゃなし、お菓子が買えるわけじゃなし、そんなことしなきゃおやつなんてありゃへんだもんで。南蛮キビなんてそりゃあごちそうだったわい。
--そんなの流れてくるのを待っておるの?
おう、そりゃ捨てる場所は決まっておるだもんで。お盆のうちで二日か三日お供えしてあるだけだらぁ、別に腐ってはおりゃせんしさあ。でお釜で茹でりゃあいいだがそんなお釜無いだもんで、河原で火を焚いて焼いて喰うだい。
それから今度は冬になるとなあ、やいお前は銭あるか?おれは一銭持っておる。おれは二銭持っておる。そうして高等科の小僧がよう、十銭ぐらい徴収してさあ、自転車乗って本郷まで来るだい。何を買いに来るかっていうと針金を買いに来るだい。
またそれでいいんだ、みんなで均等に何メートルかずつ分けてよう、「すっこくり」をこしらうことをガキ大将に教えてもらうだい。そうしてウサギの出そうな所へ罠を仕掛けるんだ。でもってウサギがうまく掛かるとよう、それでまた味飯を煮てみんなで喰うんだ。だからガキ大将も悪くはなかったよ。それからまたイタチ捕りをこしらってよう、イタチの皮を集めて売ってみたりなあ。夏はマムシを捕らまえてヘビ屋が来たで売ったりなあ。
--ヘビ屋なんて来たの?
おーうヘビ捕りに来たんだよ。それで下古戸に岩田屋っていう、ほんに小さな家の宿屋があってなあ、あんな家でよう宿屋がやれたなあって思うような。安宿だわいなあ、もちろん。
それでヘビ屋だとか富山の薬売りだとかそんな人が泊まっておるだ。すると宿屋の前に「マムシ買います」なんてビラが張ってあるわけだ。
それで小僧達がそれっ!てわけでそこらじゅうでマムシ探してよう、ある時なんかいっぺんに7尾だか8尾捕ってなあ。
それでおかしいだぞ、中原の家の前の井戸の所になあ、スモモの木があるだ、今でもあるけども。その木に腐って穴が開いておってなあ、誰かが棒でつっ突いておったらヘビが出てなぁ、やいこりゃマムシだっていうわけで、こりゃいいぞちょうど下古戸の宿屋にヘビ屋がおるでこれ捕まえて売らめえか!って言ってみんなで叩いて捕る。まっとおりゃへんかってつついたら7尾だか8尾出てきてなあ。みんな喜んで棒に縛り付けてヘビ屋のとこへ持っていったらヘビ屋の奴、いらんと言うわけだ。さあそうするとおれがしゃらくせえもんだいよう、
「おかしいじゃねぇかおじさん!宿の入り口にヘビ買います、マムシ買いますって書いてあるじゃねえか。おれ達せっかく持ってきたのにどういうわけだ?」
って言うと、
「生け捕りでねえでだめだ」
そう言うんだ。言われてみりゃあそりゃそうだわい。そうするとまたおれが理屈をこくだい。
「おじさんそりゃおかしいじゃないか。おじさんヘビを生きたなりどっかへ持ってくのか?」
そう言うとまたどうのこうのとおじさんがブツブツ言うもんだいよう、
「こんなものどっちみち殺して粉にするのかどうするのか知らんが今殺してあっても同じことじゃないか、さあ買え!」
そう言って迫ったんだ。(笑) それでしつこく交渉してよう、生きておれば1尾五銭で買うっていうところを二銭だか三銭だかで売りつけてなぁ。そりゃ大金だわみんなで7尾も売りつけただもんで。それで帰りにこの金でテグスを買わめえかってなもんだわい。
あのイタチの皮は捕って売ると良かったぞ。あれはねぇ、昔で言う一寸、三センチ角でいくらって勘定するんだ。大きなイタチ捕って皮を伸ばしてみるとなあ、だいぶ広くなるらあ。だもんで大きなイタチ捕るとなあ、けっこうな金になってなあ、いっぺんに十五銭も二十銭も入るだい。えらいことだったぞ。
それだもんでみんなで製材所行ってなあ、板はもらえんもんでバタもらって来てよう、家から鋸や釘や金槌持ってきてなあ、とにかく箱をこしらえてイタチ捕りをそこらじゅうへ仕掛けるだい。やっぱりあれも要領のいいやつと悪いやつとあってなあ。
--バタでどんな罠を作ったの?
おれが今でも作るような木箱の罠だよ。簡単に言えばなあ、竹をギューッと曲げてバネにしてあって、イタチが入って餌を引っ張って取るとバネがはずれて罠のふたが閉まるように出来とるんだ。そういう仕掛けだったよ。
そうして仕掛けてさぁ、やっぱり一冬にはだれかの罠に掛かるもんだい三、4尾は掛かるだいなあ、そうすると1尾二十銭としても一円近い金が入るもんだい大きいわなあ。それがガキ軍団の資本金になるんだ。
--イタチも買いに来たの?
古戸の宿屋へ来たよ。その道具を見て覚えるわけだ。ハハァてなもんでよう。それでスプリングなんてしゃれた物は無いだもんで、昔の子どもは頭良かっただよ、竹を曲げてこうすりゃいいじゃないかって考えただもんで。それでイタチ捕り屋さんの罠は竹筒で出来ておったよ。太さ10センチぐらい、長さ40センチぐらいでな。
昔はいろいろな事があったなぁ、ホント。